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アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
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                                                                                                                                                                                                     全米バプテスト日本語教会連名の牧師会、年会で今年もLAに行ってきました。
                   800px-Brown_pelican_-_natures_pics.jpg                                                                                                                                                                 海の近くに来ているのに、ビーチに行く時間が今まであまりなく、昼食後にちょっと行ってみる事になりました。
ヨットハーバーから岸壁に沿って歩こうと海を見たら、なんとペリカンの群れがいるではありませんか。
NCのビーチでもいつもペリカンに遭遇しますが、こんなに群れでの生態は初めてでした。

LAからこんRedondo-Beach-1.jpgRedondo-Beach-2.jpgな近くでペリカンが群れをなして生息しているのには本当に驚きました。

このペリカンは日本名でカッショクペリカンといい、ペリカンの中では最も体長が小さな種類です。
全長が115~130cmぐらいだそうです。
このペリカンは海の上を列をなして飛行し、魚の群れを見つけると空中から水中へ飛び込んで魚を獲ります。なんともダイナミックなペリカンです

Redondo-Beach-3.jpg今年はTNから、89歳になられたリタイアーされた宣教師Holloway先生がいらしてくださり、とても感謝でした。今も連盟の為に日本からの出版物の窓口になってくださり奉仕してくださっています。



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 私の好きな詩に「ほほえみ」というポエムがあります。
 最初にこの詩に出会ったのは、現清新女学院の理事長、渡辺和子女史の書籍からですが、その後も、何どか、この詩と出会うことがありました。
 彼女の書籍には「作者不詳」とありましたが、調べてみると、この詩はロバート・バー(Robert Barr)という人の作品でした。イギリスの小説家です。
 つい先日、姉妹会の記事で、とても良い記事にであったので、共通することが書かれている、この詩と共に紹介します。


 
『ほほえみ』      ロバート・バー

 ほほえみ、それは少しも元手はかかりません。
 しかし、多くのものを人に与えてくれます。

 ほほえみ、それは人に与えてもいっこうに減りはしません。
 しかし、もらった人を限りなく豊にします。
 しかし、このほほえみはお金で買うことも、人から借りることも、
 盗むこともできません。

 ほほえみ、それを生み出すのに少しも時間はいりません。
 しかし、それを受けた人の記憶の中には
 永遠に残ることさえあります。

 ほほえみ、それがなくても生きていけるほど強い人は
 この世にいません。
 それがなくてもいいほど豊かな人もいません。

 ほほえみ、それは疲れ切った心に休みを与え、
 失望した人に励ましを与え、
 悲しんでいる人に光をもたらしてくれます。

 ほほえみ、それは人生のあらゆる問題に対して
 神が与えてくださる妙薬です。
 ある人はほほえむことができないほど
 疲れているかもしれません。
 だから、その人にあなたのほほえみをあげてください。
 あなたのほほえみを最も必要としているのは、
 その人かもしれないのですから。


与えることの幸い

歳をとって弱くなっていく姿は、目に見えるので、隠すというわけにはいきません。ところが、歳をとっていることが強みであることが、ないわけではありませ ん。その強みは、経験だと思います。なんでもかんでも試してきたはずなのです。失敗も致しました。そのおかげで、高齢者、老齢者は、本物の「生活の知恵」 を身につけている方だと思います。

 イエスの言葉に、「受けるよりは、与えるが幸いである」というものがあります。正直なところ、これは歳をとった時に、やっと分かるのかもしれません。

 与えることは、本来的に「無償」で行うことを意味します。いろいろなものを与えることができます。自分の「持ち物」を与えることができるのです。子ども はなかなか、自分の「持ち物」を与えようとしません。それは子ども自身が与える「喜び」を経験していないからだと思います。

 「持ち物」の他に、無償で「与える」ことができるものは、たくさんあります。「笑顔」「微笑み」「喜び」「平和」「励ましの言葉」「感 謝」「挨拶」「お 見舞い」などを与えるために、お金は全く要りません。でも、お金よりもずっと貴重なものかもしれません。「笑顔」を与えてくれると、幸せになり、わくわく します。経験を重ねると、「笑顔」を見せ与えることは、幸せだという「境地」になります。それは分かち「合い」ということになり、分かち「愛」ということ になります。

 さらに、自分の「時間」を与えることができます。それは、むしろ自分の時間を一番大切にすることになるのです。「時は金なり」とは、特にその時間を必要としている人に与えることなのでしょう。もしかすると、金ではなくダイアモンドに値するかもしれません。

 しかし、「受ける」ことも捨てたものではありません。実は「与える」ということ自体は、「受ける」こともその中に含まれていることだと、既に経験済みです。「喜び」を与える瞬間に、もしかすると与える側は受ける側よりずっと喜びが大きいと言ってもいいのです。

 歳をとればそれだけ、人に頼ることが多くなります。人に頼られることも幸せですし、人に頼ることも幸せです。


 考えてみると、幸せな世の中は、夢のユートピアではなく、今この場に実現することができるはずです。「与える」毎日を過ごせますように。

 
私たちも、毎日、ほほえみという希望の笑顔を、出会う人々に与えたいものです。

 



娘が高校を卒業後、TXのYWAMに1年間弟子訓練のトレーニングに行っていた事があります。この弟子訓練学校を終了後、TNに戻り、大学に進学する為に半年間だけNashvilleにホ-ムステイしていました。

友人の韓国人のL婦人の通う教会の教会員で、Vanderbilt大学で博士課程を学んでおられた、全盲のご主人のおられる家庭でした。

彼は全盲ですが、教会で礼拝の奏楽をされていました。一度旋律を聴くと、その曲が演奏できるのです。大学での講義も聴くだけで、ほとんど記憶しているという方でした。政府から派遣され、帰国後、大学の教授になったと聞いています。

娘がこの家庭での生活を通して体験したことは、大きな恵みとなりました。毎日、奥さんの手作りの韓国料理を食べ、信仰的な家族の中で学校生活を送っていました。彼からベートーベンの「月光」の演奏の手ほどきなども受けたりしていました。彼らの生きた信仰は、いつも神が共にいてくださるという真実を証しするものだったようです。

 

ヨイド純福音教会のチョー・ヨンギ博士が、大分前のことですが、礼拝メッセージの中でこのような話を紹介していました。
 

ある夫婦がいました。夫は職業軍人で妻は、電話交換の仕事をしていました。婦人が目が段々と悪くなるので病院に行ったら医者が角膜炎なので早く手術しないと失明すると診断をうけました。それで夫が妻を連れて病院に行き手術を受けたのですが、手術が失敗して完全に失明してしまいました。

どんなに絶望的でしょうか?婦人は泣き続けました。でも、神様に祈り勇気を得ました。そして、再起しなければならないと考え会社に戻りました。電話の仕事なので別に目は必要ありません。ところが、出退勤が問題でした。幸いに家の前と会社の前までバスが通っていたので夫が毎日、婦人がなれるまで一緒にしてくれたのです。段々と馴れて一人でバスに乗るようになりました。そうしているうち、六ヶ月が過ぎたある日の朝、バスの運転手の後ろに座るようになりました。所が、運転手が婦人に言いました。

「あなたは本当に幸せな人ですね」

婦人は、微笑みながら、「みたいに目の見えない人のどこが幸せなのですか?」

運転手が答えます。「毎日、あなたを見守る人がいるではないですか?」

「えっ?」

「知らなかったのですか?旦那さんが、毎日婦人と一緒にバスに乗り、婦人の後ろに座っていたのですよ。あなたが降りて会社に入るまで見守ってから、バスに乗って戻っていたのです。」
婦人は驚きました。六ヶ月も毎日その様に見守ってくれたとは全然知らなかったのです。


 
私たちの信じる神様は、目が見えないというだけで私たちを見捨てたりはしません。常に私たちと共におられます。多くの方々は霊的に目が見えない為に、この事実に気がつきません。
 
困難な時代、このゴリアテと戦ったダビデのように、霊的な目が開かれ、神の軍勢が私たちを守り、導かれるようお祈りしましょう。
私の尊敬する牧師の一人に、ジム・シンバラ牧師がおられます。
彼はブルックリン・タバナックル教会の牧師で、

「Fresh Wind, Fresh Fire(邦題:神よ、私の心に聖霊の火をともしてください)」の著者です。
この本を読むと、リバイバルは、まず神の民の中から、悔い改め、砕かれた心をもたらし、聖霊の火が灯り、教会の外へと広がっていきます。彼は祈りの回復と祈る事への情熱についてこう言っています。

1857年~1859年に起こった“祈りのリバイバル”はアメリカの歴史上、どの霊的覚醒運動よりも多くの実を結びました。アメリカの全体人口の3千万人中100万人が回心しました。どのようにしてこのようなことが起こったのでしょうか。

 エレミア・ランピエールという事業家が、ウォールストリートから400メートル離れた所にあるオランダ改革派教会で、水曜日に正午祈祷会を始めました。最 初の週には6人、次の週には20人、その次の週には40人出席しました。エドウィン・オールはこのように回想しました。「そこはある狂信的な行為もヒステ リックな姿もなく、ただ祈っている人たちの姿だけがあり、信じられないことでした。」

 祈祷会を始めてから第4週目の週に、1857年の経済大恐慌が起こりました。一ヶ月で1400以上の銀行が破綻しました。人々は以前よりももっと熱く神に 向かって叫び始めました。ランピエールの教会で始まった祈祷会は、ボストン、シカゴ、ニューヘブン、フィラデルフィア、ワシントン、そして南部まで拡がっていきました。翌年の春、2000人のシカゴ市民が毎日正午にメトロポリタン劇場に集まって祈っていました。シカゴから引っ越してきたばかりの21歳の青年が、この集まりでキリストの召命を受けました。その青年がドワイト・ムーディーでした。

 今日のアメリカ人たちに、説教者や本、聖書翻訳や斬新な教理が足りないと考える人がいるでしょうか。本当に私たちに足りないのは、神が天の門を開いて神の御力を見せてくださる時まで、神に向かって叫び続ける情熱なのです。            答えられる祈りの約束 / ジム・シンバラ


聖書の信仰は、今日をいかに生きるかという、とても実際的な信仰です。
随分前に一人の老婦人の美しい生き様を、ニュースレターで紹介したことがあります。
それは、ローザさんという87歳の婦人のことでした。

今年になって、方々を宣教の為に巡回していて、
彼女のような、すばらしい婦人たちと出会います。
そして、勇気付けられています。

また、そんな人たちとの交わりの中で、良く母の事を思い出します。
わたしも、ローザさんのような老後を送り、
人々の生き方に前向きな影響を与え続けながら、
主からのお迎えを待ちたいものです。

タイトルは「歳は誰でもとるけど、成長するのはその人次第」
 

最初の授業の日

先生は自己紹介の後、

まだ知らない学生同士で紹介しあうように勧めました。

私が立ち上がって辺りを見回すと、私の肩を軽くたたく人がいました。

振り向くと、年取ったしわだらけのお婆さんが

輝くような笑顔で、私に微笑みかけていました。

 

 

 

「ねえ坊や、私はローザ。87歳よ。抱擁の挨拶をしてもいいかしら。」

 

私は微笑んで「もちろん」と答えると彼女は私を力一杯抱きしめました。

 

 

 

私が「どうしてその歳で大学に入ったのですか」と聞くと

 

彼女は、いたずらっぽく答えました。

「わたしはここにいるのはね、金持ちの男性を見つけて結婚し、

たくさんの子供をもうけて、それから引退して旅行するのよ。」

 

 

 

「冗談でしょう!」と私は言いましたが、

 

彼女がこの歳で、このような挑戦をする動悸は

いったいなんだろうかと好奇心に駆られました。

彼女は言いました。

「ずっと大学で勉強したいという夢を持っていたのよ。

今それを実現しようとしているところ。」

 

 

 

授業が終わった後、一緒に学生クラブに行き、

 

チョコレートシェーキを一緒に飲み、私たちはすぐに友達になりました。

 

 

 

それから、私たちは毎日一緒に授業に出席し、

 

よくおしゃべりをしました。

私は、いつもこの「年を経た人物」が

その体験と知恵を分かち合ってくれるのを聞いて、

心を奪われ、感動したものです。

 

 

 

一年も経たない内に、

 

彼女はキャンパスの人気者になり、

どこにいってもすぐに友達を作っていました。

美しく着飾ることが好きで、

学生たちの注目を引いていました。

彼女は心から人生を楽しんでいるようでした。

 

 

 

ある日、彼女はサッカークラブのパーティーに招かれました。

 

出席した彼女は、壇上に上がり、

準備していた話を読もうとした時、

原稿を落としてしまいました。

困って少し戸惑った様子で、

マイクを取り、単純に話し始めました。

 

 

 

「すみません、とても緊張してしまって・・・。

 

それでは、原稿を読むのをやめて、

思ったままにはなさせていただくことにしましょう。」

皆が笑うと、

彼女は咳払いをしてから話し始めました。

 

 

 

「歳を取るから遊べないのではなく、

 

遊ばないから歳を取るのです。

いつまでも若く、幸せで、

成功し続けるためには秘訣があるのです。

毎日ユーモアを持って笑うこと、

夢を見ることです。

夢を失った人は死にます。

・・・このあたりを歩いていると、

たくさんの人々が死んでいるのに

それに気づいていないのですよ。

 

 

 

歳をとるということと成長することには

 

大きな違いがあります。

例えば、もしあなたが19歳で

丸一年ベットに横たわっているなら、

生産的なことは何もしないで、

20歳になってしまうでしょう。

もし私が87歳でベットに横たわって

何もしないなら、

88歳になってしまうでしょう。

 

 

 

誰でも歳はとっていきます。

 

そのために特別な技術や才能は必要ではありません。

大切なことは、人生の道のりの中で成長し、

いつも新しい機会に出会うことです。

老人たちは、自分がしたことを後悔するのではなく、

自分がしなかったことを後悔するのです。」

 

 

 

その年の終わりにローザは大学を卒業しました。

 

そして、1週間後の彼女は眠りながら静かに亡くなりました。

「人が自分の可能性を開花させるのに、

遅すぎることはない。」

という模範を示した

このすばらしい女性の葬式には、

2000人以上の学生たちが参列しました。


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プロフィール
HN:
マスタージッコ
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1955/10/13
職業:
牧師
趣味:
旅行、クラシック音楽鑑賞、将棋
自己紹介:
ノースカロライナ州ラーレーの日本語教会の牧師をしてます。最愛の妻と娘夫婦がいます。
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