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アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
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春に咲く紫の花達、王の色としてイエスのローブと重なる。
教会の外にたてられた十字架に紫色の布がかけられているのもこの季節。
今日は私の住む周辺に見かける様々な紫の花達を紹介します。Iris1.jpgIris2.jpgPaulownia1.jpgPaulownia2.jpgWisteria2.jpgWisteria1.jpg










あやめは庭で咲いているもの。
桐の花は街の中や林の中で花を咲かせている木です。
日本では桐たんすが有名ですが、成長の早い樹木です。
そして、最後が藤街中のいたるところに群生している藤のツタが木に絡まって花を咲かせています。
藤は庭にも2年前に植えて、今花を咲かせています。
この花達は、どれも良い香りを放っています。

最近、花や野鳥、昆虫などの写真を撮り始めています。
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                            Doogwood0.jpg          今年は412がイースターですが、45日の「棕櫚の日曜日(Palm Sunday)」から受難週に入ります。
NC州
州の木が「はなみずき(Doogwood)」で、今、この「はなみずき」が開き始めています。今年は丁度イースターの頃が一番見頃になるのではないかと思います。

この「はなみ
き」はイースターツリーとも言われます。毎年イースターの頃に花をつけ、4枚の白い花弁が大きく開き十字架のように見えます。また花弁の先端が釘の痕のよう になっていて、エス様が十字架上で釘打たれた様を想像させます。

Dogwood.jpg「棕櫚の日曜日」のことでこのような言い伝えがあります。

メシアの来臨について、昔のラビたちはこのように預言しました。

人々が心の備えが出来ていたなら、メシアは「光る雲」に乗って、来られる。

人々が心の備えが出来ていなかったら、メシアは「ロバの子」に乗って、来られる。

「ロバの子」は、心を冷たく閉ざしているわたしたちへの、主の哀れみのしるしです。

 

ところで、先週のChapelHillの集会で山内先生が紹介してくださったのですが、バッハのマタイ受難曲の中の第39曲にとても美しいアリアがあります。

イエスを知らないと三度も否んでしまったペテロ。

「鶏が鳴く前に前に、三度わたしを知らないというであろう」という師の予告を思い出し、外に出て 激しく泣きました。どんなに嗚咽し、どんなに涙を流しても、もはやイエスを十字架につけないようにすることは、ペテロには出来ません。取り返しのつかない過ちを悔い、悲嘆の涙を流すペテロの心情をアルト歌手が切々と歌い上げます。

 

憐れんで下さい、神よ、

私の涙のゆえに。

見て下さい、心も目もあなたの前で

激しく泣いているのを。

憐れんで下さい、

憐れんで下さい。

Youtubeで聞くことが出来ます。

Bach - Julia Hamari - Matthäus Passion - Erbarme dich


訳詞については、ここをクリックしてください。「マタイ難曲」

 

今朝のニュースで、州政府も大幅な予算カットを行っていくとのことでしたが、 税収の軽減を抑える為にSin Taxを導入することを決めたようです。
Sin Tax
というTaxが耳慣れない言葉でしたので、興味を持ちました。
日本語に単純に訳せば罪悪税ということになるのでしょうが、悪癖(例えばアルコール、タバコ、ギャンブル)とされる製品またはサービスに課せられる州税のことでした。

これらの種類の税は、個人に製品の使用を違 法にすることなくそのような活動に加わることを思いとどまらせるために、政府によって課されます。

罪悪税は、酒、タバコと他の贅沢な製品に典型的に 加えられます。この税が製品を使用する人々に影響を及ぼすだけである間接税であるので、Sin Taxが大きな収益ももたらし、通常一般大衆によって簡単に受け入れられるので、州政府は罪悪税を支持しています。個々の州が赤字を走らせるとき、罪悪税 は一般的に、議 員によって予算隙間を埋めるのを助けると勧められる最初の税のうちの1つです。


ところで、sinという言葉ですが、

この言葉は、アメリカでは色々なところで使われています。

NCにはプロアイスホッケーチームがありますが、アイスホッケーでは競技中に反則を犯したプレーヤーを一時待機させておくペナルティーボックス (penalty box)のことを sin-bin と言います。

最近は日本の大学ラグビーでも新しいルールを取り入れて sin-bin を採用しているところがあるそうです。もちろん箱があるわけではりませんが、そのチームは10分間は14人で戦わなければなりません。bin は大きな箱のことですが、ラグビーでは、相手の首などにタックルしたりして危険なプレーをしたプレーヤーに、ペナルティーとして10分間ゴールの後方に待機させることをいうのです。

聖書に出てくる sin は、語源的には「的をはずす」という意味で、神が人に定めた道を踏み外すという意味です。法律上の罪を crime というのに対して、道徳上、宗教上の罪を sin といいますが、聖書では、sin 800回ほど出てくるのに対してcrime はたったの30回ほどです。sin には「罪を犯す」という動詞もあって、これを併せると1000回近くなります。

「罪」という言葉は聖書でよく使う言葉ですが、上記に少し説明したように、英語では"Crime""Sin"の二種類があります。

聖書的な罪の意味については、また次回に書いてみます。






 mini-shamrock.jpg今日はSt. Patrick's Dayです。
この日の1ヶ月頃前から、商店にもこの日にちなんだ商品が並んでいました。
学校には緑色の洋服を着ていく子供たちを見かけます。


St. Patrick's Day
は、アイルランドに始まったお祭り行事です。

アイルランド人は、アメリカを始め各地に移民し、そこにSt. Patrick's Dayの習慣も持ち込み、アイルランド人の血とともに、その地にこの祝典の習慣も広まりました。

毎年317日には、故郷のアイルランドに思いを馳せ、緑色を基調にして、アイルランドの食べ物(ポテト、ベーコンとキャベツ、アイリッシュコーヒー)を食べ、Irish jigを踊り、Irish folksongを歌う、という伝統が出来上がっていきました。

 アメリカでは、北米を中心にSt. Patrick's Dayを祝うパレードなどが行われていますが、アメリカで初めてのSt. Patrick's Dayの公式行事は、1737年にボストンで始まりました。

 

St.Patrickは、今から1500年ほど前、ウェールズ地方のGaelicの家に生まれ、Britainに移ります。後のIreland守護神ですが、Maewynという名の子供時代にはSuccat=warlike)と呼ばれた悪童だったという話もあります。その為に、クリスチャンとしての洗礼を受けさせ、洗礼名がPatricius=noble)となります(Patrickという名の由来でしょう)。地主の息子として何不自由ない暮らしでしたが、16才のとき、村を襲ったアイリッシュの荒くれ者達に囚われ、アイルランドで奴隷として使われます。

 6年後にようやく逃げ出し、修道院に逃げ込んだPatrickは、12年間そこで修行を積みます。Patrickは、この間に、自分の使命は異教徒をキリスト教に改宗させる事にあると信じるようになります。そして、いつか自分をひどい目に合わせたアイルランドの人達をキリスト者にするためにアイルランドに戻りたいと願います。

 スカラーシップを取っていなかったPatrickはなかなか主教の職に就けませんでしたが、とうとう念願叶ってアイルランドに戻り、宣教師として異教徒の改宗を成功させていきます。が、ケルト族に根強く残る原始宗教の邪魔をするものとしてPatrickは何度も逮捕され、捕まっては逃げ出すということを繰り返し、それでもアイルランド中を布教活動して回り、学校や教会を創立しました。

 

 irish-shamrock-5.jpgこの布教活動に活躍したのがシャムロック(shamrock)です。父なる神と御子イエスと聖霊の三位一体であるという、キリスト教の唯一神の神の教理を教えるために、Patrickは、アイルランドの地にたくさんある三つ葉のシャムロックを使い、人々に聖書の神を伝えました。

アイルランドは湿気が多く、蛇が沢山いたので、子供たちを毒蛇から守ろうと、Patrickが、ドラムをたたいて、島中の蛇を崖から海に落として追い出したという伝説があります。

 こうして、Patrickはその布教活動の功績から、死後、聖者となり、その命日とされる317日に祝賀会が行われるようになりました。そして、St. Patrickの後継者達によって、彼の命日にはシャムロックを帽子に必ず付ける、という習慣が生まれました。


シャムロックはアイルランドのシンボルとして親しまれています。

 

三位一体(さんみいったい)の神

 

 聖書は、唯一の神の存在を教えると同時に、神には、父と子と聖霊(せいれい)との、三つの人格的存在があることを教えています。 

神が、三位一体の存在であることは、人間の理解を超えた神秘で完全にはわかりませんが、神のみことばがそう告げているのですから信じることができます。 (よく水が、気体、液体、固体[氷]、になるようだとも言われますが、とても十分なたとえではありません。) 
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。 そして、父、子、聖霊の御名によって」(マタイの福音書 2819

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。』(第二コリント 1313
「いまだかつて神を見た者はいない。 父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」(ヨハネの福音書)


父 「父なる神 天の父 天の神 天のお父さま
イエスさまが、愛に満ちた身近な父として紹介されました。 天地万物の創造者であり、私たちのいのちを生み出し、維持してくださるお方(かた)を親しみを込めて 「父なる神」 「天のお父さま」 と呼んでいます。(マタイの福音書 69 エペソ人への手紙 13 ルカの福音書 1520』より

子 「子なる神 神の御子 神のひとり子 主イエス イエス・キリスト イエスさま 御子イエス・キリスト 神の小羊」
神は愛であり、義であり、善であり、聖なるお方(かた)です。 神は、創造主(そうぞうしゅ)ですから全能です。 霊のお方(かた)ですから、どこにでも おられます。 またこの世のすべて、そして私たちの過去、現在、未来をご存知で、しかもそれがまったく同時であるということです。 宇宙の創造者であり支 配者です。 見えない人格的な神は、イエスさまの人格を通して初めて示されました。 なぜならご自身人格を持たれる神は、人格的存在 「イエスさま」 を 通してしか人間に理解されないからです。 
その見えない神が、見えるかたちになり、人間の姿をとられ、救い主(ぬし)として地上に来られたのがイエスさまです。 

聖霊(せいれい) 「助け主(ぬし) 真理の御霊(みたま)」
自分の罪(つみ)を認めて、イエスさまを救い主(ぬし)と信じる人は、心の中に聖霊を受けます。 それが救いの決定です。 「聖霊は私たちが御国(みくに)を受け継ぐことの証印です。」 (エペソ人への手紙 113
『わたしは父にお願いします。 そうすれば、父はもうひとりの助け主(ぬし)をあなたがたにお与えになります。 その助け主(ぬし)がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。 その方(かた)は、真理の御霊(みたま)です。』(ヨハネの福音書 1416-17 )


「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 」(ローマ人への手紙120


 神が創造された自然界 をよく観察し、調べてみれば、確かに、その被造物(自然)の中に、当然、ご自身が三位一体の神であることを示す捺印を残しておられるのが分かります。神はその自然の中に、ご自分の本質を表わすしるしをつけておられるのです。確かに、自然界の一つ一つのものを見るときに、三位一体の神のしるしを帯びていることを知ることができます。モーツアルトやバッハの作曲した曲が、その作曲家の作であると分かる特徴を持っているように。神もご自身が創造されたその作品の一つ一つに、ご自分のしるしをつけておられるのです。

 
いくつかの例を上げてみましょう。ただ、どんな例えを用いても、この三位一体の神についての真理を完全に説明出来ませんが、神の被造物の中に「三つにして一つ」というものの例証は多く見ることができます。

【1】一人の人間は、一個の存在であるのに、「霊と魂と体」の三つからなっています。そして、三つですが、一つなのです。各自(からだ。霊。たましい。)は、全体を表現し、しかも全体は三つの中に表われています。
「あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」(第一テサロニケ人への手紙523

【2】宇宙は、「時間」と「空間」と「物質」から成り立っています。
「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記11)。
この創世記1章1節の「初めに」は時間であり、「天」は空間であり、「地」は物質です。

【3】空間は、「長さ」と「広さ」と「高さ(または深さ)」から成り立っています。

【4】人間のたましいは、「感情」と「意志」と「知性(または理性)」から成り立っています。

【5】水は、(温度の変化によって)「液体」と「気体(蒸気)」と「固体(氷)」の三様の形を取ります。しかし、H2Oという水の性質に変わりはありません。

 

これらは、ほんの数例に過ぎませんが、このように見て行くと、確かに、自然界には三位一体の神のご性質が表されており、その被造物に神の捺印が押されているということが分かるのではないでしょうか。

 

「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。・・・・』と仰せられた。・・・・神はこのように人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記12627

 

 

   Getty1.jpg               Getty5.jpg        Getty3.jpg                                                              LAにはGetty Center (http://www.getty.edu/) という、何と入場料無料のすばらしい美術館があります。

もうれこれ10年ぐらい前に、この地に美術館が移転してすぐに行ったことがありました3時間ぐらいのツアーでしたので、美術館の美術や庭園を全部鑑賞できませんでした。ですから、もう一度行きたいと思っていた。


写真にある絵は、私たちが最初に入った館の中にあったものです。キリストの十字架の絵でした。この館には
沢山の中世からルネッサンスにかけての絵画がありました。

う一枚の絵は、ゴッホの作です。この部屋には印象派のモネの絵画などもありました。

しかし、以Getty6.jpgGetty4.jpgGetty8.jpg前訪れた時に、宗教画が多いことがとても印象に残っていました。

 

                                                                                                                                    とこで、今年は225()が「灰の水曜日」でした。この日は娘の誕生日であり、また夫のバプテスマ記念日でもありました。二人の結婚式も昨年の216日だったので、今年の四旬節(レント)は特に感慨深いものがあります。

 

今年の復活祭(イースター)は412日です。

イエス・キリストの復活の日から遡る、日曜日を除く40日間、暦日では46日間がその期間で、今年の教会歴では、2月の25日に始まり、411日に終わります。その前の日曜日を除く40日間がレントです。

 

 毎年思うことなのですが、このレントの40間、静かな心を持って御言葉に聴きつつ、イエス様の受難に思いを馳せる日々を送りたいものです。

 

「私たちの聞いたことを、だれが信じたか。主の御腕は、だれに現れたのか。彼は主の前に若枝のように芽ばえ、砂漠の地から出る根のように育った。彼には、私たちが見とれるような姿もなく、輝きもなく、私たちが慕うようなばえもない。彼はげすまれ、人々からのけ 者にされ、悲しみの人で病を知っていた。人が顔をそむけるほどさげすまれ、私たちも彼を尊ばなかった。」(イザヤ書 531-3)

 

 この紀元前8世紀頃に、イザヤによって記されたイエス様の受難の預言の御言葉を黙想する時、いつもヘンデルのメサイアのことを思い出します。何度か生演奏でもアメリカに来てから聞きました。

 少し紹介しておきます。

< 序文 >MAJORA CANAMUSさあ、大いなることを歌おう)

 And without Controversy, great is the Mystery of Godliness: God was manifested in the Flesh, justified by the Spirit, seen of angels, preached among the Gentiles, believed on in the World, received up into Glory. In whom are hid all the Treasures of Wisdom and Knowledge.

(偉大なのがこの信仰の奥義であることは、議論の余地もありません。 主は肉体としてこの世に現れ、聖霊において義とせられ、天使たちに見守られ、 諸国民の間で宣べ伝えられ、世界中で信じられ、栄光のうちに天上へと召されました。 主の中にこそ、その知恵と知識の宝が秘められているのです。)

*上記序文は歌詞ではありませんが、 ヘンデル自身による演奏会のプログラムに必ず記載されていたもので、 メサイア全曲の歌おうとしている内容を集約し表現しています。

 

合唱・独唱を含めて53曲にもなるメサイアは、すべて聖書の言葉による歌詞によって作曲されています。聖書の言葉は過去の出来事(神の歴史)の「記録」としてだけでなく、「想起」と「待望」のための手がかりとしても用いられています。 

 

その構成は三部からなっています。

 

第一部:最初の預言がなされた暗闇と、それとは対照的な喜ばしい出来事であるキリストの降誕までを述べていますGetty7.jpg。神によって自分の救いを求める人間のドラマを通じて、私たちをひとつの人生の旅に旅立たせているかのようです。ヘンデルは音符を超えたところに天国を見ていたのではないかと思わせるような、暗闇と輝き、絶望と愛といった絵画が現れています。

 

第二部:キリストの受難、十字架と復活であり、悲劇から勝利への旅が始まります。あの有名な「ハレルヤ・コーラス」がイエス様の誕生や復活の場面ではなく、第二部の終わり、十字架上でイエスが息を引き取られるところで歌われるという点にヘンデルの信仰告白のようなものを感じます。イエス・キリストが十字架上において私たちの罪を引き受けて死んでくださったからこそ、私たちは神の救済を受けることができる。主の十字架こそが私たちに与えられた大いなる恵みの原点であると…。そして、主の勝利に「ハレルヤ」と讃美するのです。

 

第三部:信者の復活の約束とメシアの即位を表しています。メサイア全曲の最後に置かれた「アーメン・コーラス」は、聖書の最後にある黙示録が預言するメシアの最終的勝利に対してそれを待ち望むことを表明すると共に、メサイア全曲を通して語られてきたメシアの業と功績に対する賞賛を表しています。

 

イエス・キリストに類のない栄光を与えた出来事は、彼が自ら受難を引き受けなされたことにほかなりません。十字架の御業こそがイエスの栄光の中心です。十字架によって彼の父なる神への従順と謙遜、そして人間に対する愛が示されたのです。

 

是非、今年のイースターにこの名曲を聴いてみてください。

 

「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに、世を愛された。それは御子を信じる者が、ひとりとして滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。」(ヨハネの福音書 316節) 

 

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プロフィール
HN:
マスタージッコ
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1955/10/13
職業:
牧師
趣味:
旅行、クラシック音楽鑑賞、将棋
自己紹介:
ノースカロライナ州ラーレーの日本語教会の牧師をしてます。最愛の妻と娘夫婦がいます。
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