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アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
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今日は私の大好きなクリスマスのお話を紹介します。

ヨセフさんいかないで 
涙のち晴れ(生きる勇気がわいてくるストーリー集)」より


アメリカのある村に、白い十字架の、小さな教会があり
1172690166.jpgました。

日曜日の朝、やわらかな太陽の光のなかに十字架が浮かびあがると、カランコロン、カランコロンと、鐘の音が村中に響きわたるのでした。すると、あっちの家からも、こっちの牧場からも、聖書とさんび歌をかかえた人たちが姿を現わしました。おじいさんもおばあさんも、小さな子どもたちも、あかちゃんまでも、全家族そろって、白い十字架の教会にやってきました。こうして教会はいっぱいになり、村はからっぽになるのでした。

ある年の十二月はじめのことでした。クリスマスの日に毎年行なわれる、イエスさまの誕生劇を、その年は子どもたちが担当することになっていました。そこで、教会学校の先生たちは、子どもたちを全員集めて、その劇の相談をしました。そして、役割りを決めたのでした。

マリアさんが決まりました。
ヨセフさんも決まりました。
羊飼いさんたちも、東の博士たちも決まりました。
それに、牛さんたち、馬さんたち、羊さんたちも決まりました。
天の使いたちも決まりました。

こうして、子どもたち全員が、それぞれ自分の役をもらいました。
ところが、知恵おくれの子が役からもれていることに気がつきました。先生たちは、すぐに相談をして、その子のために、役をつくりました。それは、馬小屋のある宿屋の子どもの役でした。

セリフはーつ、「だめだ。部屋がない」
そして、うしろの馬小屋を指さすのです。
男の子はよろこびました。
「ぼくもイエスさまの劇に出るんだ。ぼくだって、劇に出るんだ」

「だめだ。部屋がない」
男の子はー日に何十回も、何百回もくりかえして練習をしました。くる日もくる日も練習しました。

待ちに待ったクリスマスの日がやってきました。

鐘の音が村のすみずみにまで、クリスマス礼拝の時間を知らせました。白い十字架の教会は、たちまちいっぱいになりました。

プログラムが進んで、いよいよ子どもたちのクリスマス劇です。
そうして、その劇も、最後の場面を迎えました。
長旅で疲れ果てたヨセフとマリアが、とぼとぼと歩いて、ベツレヘムにやってきました。陽はとっぷりと暮れています。そして、あの男の子が立っている宿屋にたどりつきました。

「すみません。私たちをー晩とめてください」
さあ、男の子の番です。おとうさんも、おかあさんも、教会学校の先生たちも、思わず手を組んで、神さまにお祈りをしました。
「神さま、うまくできますように・・・」

男の子は、大きな声でいいました。「だめだ。部屋がない」
それから、うしろをむいて、馬小屋を指さしました。

「よかった。じょうずにできた」
みんな胸をなでおろした直後のことでした。

馬小屋にむかって、肩を落として歩いていくヨセフとマリアをじっと見送っていたその男の子が、突然、ワァッと声をあげて泣き出したではありませんか。
男の子は走り出しました。そして、泣きながらマリアさんにしがみつきました。
「マリアさん、ヨセフさん。馬小屋に行かないで。馬小屋は、寒いから。イエスさまが風邪を引いちやうから、馬小屋に行かないで、馬小屋に行かないで」

教会学校の先生たちが舞台にとびあがりました。そして、マリアさんにしがみついて泣いている男の子を引き離しました。

劇は、だいじなところで、しばし中断してしまいました。

 

ところが、長い村の歴史のなかで、これほど感動的なクリスマス劇は、あとにも先きにもありませんでした。

PR
clip_relgious003.jpgこのお話は、随分前にビリー・グラハム ミッションの月刊誌に掲載されていたもので、とても心に残り、ずっと私のクリスマスストリーの大切な例話として、覚えているものです。今日は、是非皆さんにシェアーしたいと思います。タイトルは「最後のわらくず」です。

最後のわらくず

●マクニール家の子供たち

どんよりした、いかにも冬らしい天気の日の午後、マクニール家の4人の子供たちはみな家の中に閉じ込められて、いつものように互いにからかいあったり、つまらないことで口論したりおもちゃのことでけんかしたりするしかなかった。

そんな時、エレンはうちの子供たちはもともと仲が悪いのかと思いたくなった。いやそんなことはない。もちろん時には兄弟げんかもするものだが、この頃うちの兄弟は特にとげとげしているようだ。特に年子のエリックとケリーは冬中喧嘩し続けようと決心しているかのように見えた。

ケリーが甲高い声で叫ぶ。「それちょうだい、わたしのよ。」「ちがうよ、ぼくのだよ。」とエリックが頑固に主張する。

エレンは二人の言い争いを聞きながらため息をつく。クリスマスは1ヵ月後に迫っているというのに、悲しいことにクリスマスの心がマクニール家の中には欠けていた。クリスマスは人が譲り合い、愛し合い、暖かな思いと幸せな心を味わえる季節のはずだった。

家庭には休日を楽しく過ごすために、ただの綺麗なプレゼントの箱や、ツリーの上に輝くキャンドル以上のものが必要だった。

1257583280.jpg金融バブルの崩壊によって、世界が様々な恐れて満ちています。
どうすれば平安を持つことが出来るのだろうか?
聖書は、それは「主を喜びとする」ことだと言っています。
ネヘミヤ記の8章10節には「主を喜ぶ事はあなた方の力です。」(口語訳)とあります。喜ぶことが力の源となるのです。
私たちは忙しい時代に生きています。世の中の、あまりのスピードの速さの為に、現代の生活は緊張の連続です。

詩篇46篇10節で、主は「静まって、わたしこそ神であることを知れ」と語りかけます。旧約聖書の律法を神から授けられたモーセは、ミデヤンの荒野で40年備えさせられた。パウロも、ルターもリンカーンも主との交わりが力となった。

救い主である主と交わる事を主は願われる。それは、主を喜びとすることである。しばらくデボーションの時をみことばから持ってほしい。あなたは、鷲のように力を得る事だろう。David Wilkerson博士は「日ごとのみことば」でこのように言っています。

主にあって喜びなさい

私たちの平安と満足感は、どんな状況にあったとしても、常に神様の御手にすべてを委ねることにかかっています。詩編の作者はこう記しています。「主に自らをゆだねよ、主はあなたの心の願いをかなえてくださる。」(詩編374

もしあなたが神様の御手にあなた自身を完全に委ねるなら、すべてのいかなる困難をも耐え忍ぶことが出来ます。あなたのお父様は、あなたがすべてを神様の御手に委ね、日常生活を恐れや不安なしに送ることを望んでおられます。そしてあなたの神様に対する信頼は、あなたの人生において、目に見える効果をもたらします。神様にすべてを委ねれば委ねるほど、あなたはあなたを取り巻く環境が気にならなくなるでしょう。

もしあなたが神様に委ねているなら、 いつも次の行動を計画しようと躍起になることはありません。あなたの近くで起こっている恐ろしいニュースを聞いても、不安に駆られることはないでしょう。 あなたの人生も家族も将来も、そのすべてが主の愛と安心に満ちた御手にあることを信じるなら、将来の日々に押し潰されることもありません。

羊飼いの後をついて行く羊たちが、どれ程心配と不安に満ちていると思いますか。ゼロです。羊飼いの導きに完全に委ねきっているからです。同様に、キリストは 私たちの素晴らしい羊飼いで、私たちはその羊です。だとすれば、なぜ私たちは人生や将来のことを恐れたり、それに心を乱したり、心配したりする必要がある でしょうか。私たちの羊飼いは、愛によって導いて下さるので、どうやって私たちを守り、その群れを保護すればよいか、完全に御存知なのです。

私は人生を通して、問題が起こる度に、どうやって神様を信頼すればよいかを学ばされました。考えてみて下さい。もし私がある一つのことを神様に委ねられていないなら、どうして神様にすべてを委ねていると言うことが出来るでしょうか。ただ「私は主に完全なる信頼をおいている」という言葉を発するだけでは、十分 ではありません。私は何度も何度も、私の人生におけるたくさんの分野で、また日常茶飯事において、これを確かなものにしなければいけませんでした。

多 くの人々は、他に抜け道が全くなくなってしまった時になって初めて、「私は任せている、委ねている、信じている」と言います。しかし本当の委ね、神様が喜 ばれる委ねとは、どうしようもなくなるその前に、自ら喜んで委ねることです。私たちは、アブラハムが神様に人生のすべてを委ね、神様がそのすべてを満たされるままに進んだ様に、主の御心に適うことを行うべきです。
e7c6c5bd.jpeg16日の日曜日にM姉がバプテスマを受けられた。ご主人は丁度11ヶ月前の昨年の12月16日にバプテスマを受けられた。
二人の希望は同じ日の12月16日の日程だったが、この日は平日でもあり、バプテスマ層に水を入れ、冬季なので温水にする必要があり、母教会の日程に合わせ、FBCの礼拝に合流して祝福の時を持った。

ここにM姉の短い証しを紹介する。二人の渡米してからの人生に関わった、多くの神の家族が感謝と喜びに満たされたことばである。

今日は、私のバプテスマを共に見届けていただき、ありがとうございました。
こちらに来て、初めて教会に通ったり、Bible studyに参加さてていただくようになったり、日本にいた頃にはなかった習慣を通して少しずつ神様のことを考えるようになりました。
その中で就寝前、自然にお祈りをするようになり、
子供が授かったり、ノビー(ご主人のニックネーム)の研究がもっとうまくいくようになったり、いろんなところで神様の恵みを受けていることを実感するようになりました。
長岡さんが、
夫婦で同じものをみるようになってからぶれなくなったと以前言っていたのも、すごく心に響き、そろそろ今が私にとってバプテスマを受ける時期になったと思い始めました。
またノビーが、一度も急かすようなことを言わず、
温かくその時期がくるまで見守ってくれていたのも、無理なく受け入れることができた理由だと思います。

今日という日を迎えることができたのも、
皆様との出会いと支えがあったからだと思います。
このような人のつながりを与えてくださった神様に感謝し、
まだまだクリスチャンとしても、夫婦としても駆け出しですが、二人で成長していきたいです。
今日は、本当にありがとうございました。 M・K

ご主人は、婚約し結婚する時に、「自分はクリスチャンで、一緒に毎週教会に行きますか」といっておられたという。それほど、彼の人生に大きな影響を与えた方(イエス様)を中心とした家庭を築きたいと望んでおられた。

主は彼の願いと祈りに答えてくださり、すばらしい伴侶を与えてくださった。
神の国とその義とをまず第一にした時に、神はもっともすばらしい人生の伴侶を与えてくれた。そして、来年新しい家族が与えられる。神の祝福が湧き水のように流れ出している。心から祝福と神の恵み、平安を祈っている。

今、毎週のように私たちの身近な人たちが、病に犯され病気と戦っておられるのを耳にします。

クリスチャンの大切な信仰者としての生き方の中で、神様は私たちがとりなして手となって病を抱えた方々とその家族の為に、その家族と一つ心となって祈ることを願っておられます。

あなたの日々の祈りの祭壇に、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」と言われた主のことばに従い、具体的にその方々と家族を覚え、その人の名や病状、家族の状況を主の御手に委ねて行きましょう。

 

以下に具体的な祈りの例を記します。

 

手術の日に

 

神さま

今日は手術の行われる日です。

手術室に行かねばならない人がいらだったり

不安になったり、おびえたりしすぎないようにしてください。

彼らが看護師の親切と能力を信頼し

麻酔科医の知恵を信頼し

担当医や執刀医の腕を信頼することができますように。

手術室にいても神さま、あなたが近くにおられ

教会におられるのとまったく同じだということを

覚えることができますように、彼らを助けてください。

家で待つ人々も心配しすぎませんように。

愛する者が病むと、わたしたちの不安は避けられません。

しかし、自信と落ち着きをもって

治療にあたる人々にすべてをゆだね

そして、神さま

あなたの愛にゆだねることができますように。

詩篇の詩人に言ったことをわたしにも言わせてください。

 

恐れをいだくとき

わたしはあなたに依り頼みます。(詩篇564節)

主こそわが光、また健やかさの源、

ならば誰がわたしをおじかさせよう。

わが命の力は主、

ならば誰をわたしは恐れよう。

 

ウィリアム・バークレー著「慰めの祈り(病むときに)」より

 

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プロフィール
HN:
マスタージッコ
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1955/10/13
職業:
牧師
趣味:
旅行、クラシック音楽鑑賞、将棋
自己紹介:
ノースカロライナ州ラーレーの日本語教会の牧師をしてます。最愛の妻と娘夫婦がいます。
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