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アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
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 mini-shamrock.jpg今日はSt. Patrick's Dayです。
この日の1ヶ月頃前から、商店にもこの日にちなんだ商品が並んでいました。
学校には緑色の洋服を着ていく子供たちを見かけます。


St. Patrick's Day
は、アイルランドに始まったお祭り行事です。

アイルランド人は、アメリカを始め各地に移民し、そこにSt. Patrick's Dayの習慣も持ち込み、アイルランド人の血とともに、その地にこの祝典の習慣も広まりました。

毎年317日には、故郷のアイルランドに思いを馳せ、緑色を基調にして、アイルランドの食べ物(ポテト、ベーコンとキャベツ、アイリッシュコーヒー)を食べ、Irish jigを踊り、Irish folksongを歌う、という伝統が出来上がっていきました。

 アメリカでは、北米を中心にSt. Patrick's Dayを祝うパレードなどが行われていますが、アメリカで初めてのSt. Patrick's Dayの公式行事は、1737年にボストンで始まりました。

 

St.Patrickは、今から1500年ほど前、ウェールズ地方のGaelicの家に生まれ、Britainに移ります。後のIreland守護神ですが、Maewynという名の子供時代にはSuccat=warlike)と呼ばれた悪童だったという話もあります。その為に、クリスチャンとしての洗礼を受けさせ、洗礼名がPatricius=noble)となります(Patrickという名の由来でしょう)。地主の息子として何不自由ない暮らしでしたが、16才のとき、村を襲ったアイリッシュの荒くれ者達に囚われ、アイルランドで奴隷として使われます。

 6年後にようやく逃げ出し、修道院に逃げ込んだPatrickは、12年間そこで修行を積みます。Patrickは、この間に、自分の使命は異教徒をキリスト教に改宗させる事にあると信じるようになります。そして、いつか自分をひどい目に合わせたアイルランドの人達をキリスト者にするためにアイルランドに戻りたいと願います。

 スカラーシップを取っていなかったPatrickはなかなか主教の職に就けませんでしたが、とうとう念願叶ってアイルランドに戻り、宣教師として異教徒の改宗を成功させていきます。が、ケルト族に根強く残る原始宗教の邪魔をするものとしてPatrickは何度も逮捕され、捕まっては逃げ出すということを繰り返し、それでもアイルランド中を布教活動して回り、学校や教会を創立しました。

 

 irish-shamrock-5.jpgこの布教活動に活躍したのがシャムロック(shamrock)です。父なる神と御子イエスと聖霊の三位一体であるという、キリスト教の唯一神の神の教理を教えるために、Patrickは、アイルランドの地にたくさんある三つ葉のシャムロックを使い、人々に聖書の神を伝えました。

アイルランドは湿気が多く、蛇が沢山いたので、子供たちを毒蛇から守ろうと、Patrickが、ドラムをたたいて、島中の蛇を崖から海に落として追い出したという伝説があります。

 こうして、Patrickはその布教活動の功績から、死後、聖者となり、その命日とされる317日に祝賀会が行われるようになりました。そして、St. Patrickの後継者達によって、彼の命日にはシャムロックを帽子に必ず付ける、という習慣が生まれました。


シャムロックはアイルランドのシンボルとして親しまれています。

 

三位一体(さんみいったい)の神

 

 聖書は、唯一の神の存在を教えると同時に、神には、父と子と聖霊(せいれい)との、三つの人格的存在があることを教えています。 

神が、三位一体の存在であることは、人間の理解を超えた神秘で完全にはわかりませんが、神のみことばがそう告げているのですから信じることができます。 (よく水が、気体、液体、固体[氷]、になるようだとも言われますが、とても十分なたとえではありません。) 
それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。 そして、父、子、聖霊の御名によって」(マタイの福音書 2819

「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがたすべてとともにありますように。』(第二コリント 1313
「いまだかつて神を見た者はいない。 父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされたのである。」(ヨハネの福音書)


父 「父なる神 天の父 天の神 天のお父さま
イエスさまが、愛に満ちた身近な父として紹介されました。 天地万物の創造者であり、私たちのいのちを生み出し、維持してくださるお方(かた)を親しみを込めて 「父なる神」 「天のお父さま」 と呼んでいます。(マタイの福音書 69 エペソ人への手紙 13 ルカの福音書 1520』より

子 「子なる神 神の御子 神のひとり子 主イエス イエス・キリスト イエスさま 御子イエス・キリスト 神の小羊」
神は愛であり、義であり、善であり、聖なるお方(かた)です。 神は、創造主(そうぞうしゅ)ですから全能です。 霊のお方(かた)ですから、どこにでも おられます。 またこの世のすべて、そして私たちの過去、現在、未来をご存知で、しかもそれがまったく同時であるということです。 宇宙の創造者であり支 配者です。 見えない人格的な神は、イエスさまの人格を通して初めて示されました。 なぜならご自身人格を持たれる神は、人格的存在 「イエスさま」 を 通してしか人間に理解されないからです。 
その見えない神が、見えるかたちになり、人間の姿をとられ、救い主(ぬし)として地上に来られたのがイエスさまです。 

聖霊(せいれい) 「助け主(ぬし) 真理の御霊(みたま)」
自分の罪(つみ)を認めて、イエスさまを救い主(ぬし)と信じる人は、心の中に聖霊を受けます。 それが救いの決定です。 「聖霊は私たちが御国(みくに)を受け継ぐことの証印です。」 (エペソ人への手紙 113
『わたしは父にお願いします。 そうすれば、父はもうひとりの助け主(ぬし)をあなたがたにお与えになります。 その助け主(ぬし)がいつまでもあなたがたと、ともにおられるためにです。 その方(かた)は、真理の御霊(みたま)です。』(ヨハネの福音書 1416-17 )


「神の、目に見えない本性、すなわち神の永遠の力と神性は、世界の創造された時からこのかた、被造物によって知られ、はっきりと認められるのであって、彼らに弁解の余地はないのです。 」(ローマ人への手紙120


 神が創造された自然界 をよく観察し、調べてみれば、確かに、その被造物(自然)の中に、当然、ご自身が三位一体の神であることを示す捺印を残しておられるのが分かります。神はその自然の中に、ご自分の本質を表わすしるしをつけておられるのです。確かに、自然界の一つ一つのものを見るときに、三位一体の神のしるしを帯びていることを知ることができます。モーツアルトやバッハの作曲した曲が、その作曲家の作であると分かる特徴を持っているように。神もご自身が創造されたその作品の一つ一つに、ご自分のしるしをつけておられるのです。

 
いくつかの例を上げてみましょう。ただ、どんな例えを用いても、この三位一体の神についての真理を完全に説明出来ませんが、神の被造物の中に「三つにして一つ」というものの例証は多く見ることができます。

【1】一人の人間は、一個の存在であるのに、「霊と魂と体」の三つからなっています。そして、三つですが、一つなのです。各自(からだ。霊。たましい。)は、全体を表現し、しかも全体は三つの中に表われています。
「あなたがたの霊、たましい、からだが完全に守られますように。」(第一テサロニケ人への手紙523

【2】宇宙は、「時間」と「空間」と「物質」から成り立っています。
「初めに、神が天と地を創造した。」(創世記11)。
この創世記1章1節の「初めに」は時間であり、「天」は空間であり、「地」は物質です。

【3】空間は、「長さ」と「広さ」と「高さ(または深さ)」から成り立っています。

【4】人間のたましいは、「感情」と「意志」と「知性(または理性)」から成り立っています。

【5】水は、(温度の変化によって)「液体」と「気体(蒸気)」と「固体(氷)」の三様の形を取ります。しかし、H2Oという水の性質に変わりはありません。

 

これらは、ほんの数例に過ぎませんが、このように見て行くと、確かに、自然界には三位一体の神のご性質が表されており、その被造物に神の捺印が押されているということが分かるのではないでしょうか。

 

「そして神は、『われわれに似るように、われわれのかたちに、人を造ろう。・・・・』と仰せられた。・・・・神はこのように人をご自身のかたちに創造された。神のかたちに彼を創造し、男と女とに彼らを創造された。」(創世記12627

 

 

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私の尊敬する牧師の一人に、ジム・シンバラ牧師がおられます。
彼はブルックリン・タバナックル教会の牧師で、

「Fresh Wind, Fresh Fire(邦題:神よ、私の心に聖霊の火をともしてください)」の著者です。
この本を読むと、リバイバルは、まず神の民の中から、悔い改め、砕かれた心をもたらし、聖霊の火が灯り、教会の外へと広がっていきます。彼は祈りの回復と祈る事への情熱についてこう言っています。

1857年~1859年に起こった“祈りのリバイバル”はアメリカの歴史上、どの霊的覚醒運動よりも多くの実を結びました。アメリカの全体人口の3千万人中100万人が回心しました。どのようにしてこのようなことが起こったのでしょうか。

 エレミア・ランピエールという事業家が、ウォールストリートから400メートル離れた所にあるオランダ改革派教会で、水曜日に正午祈祷会を始めました。最 初の週には6人、次の週には20人、その次の週には40人出席しました。エドウィン・オールはこのように回想しました。「そこはある狂信的な行為もヒステ リックな姿もなく、ただ祈っている人たちの姿だけがあり、信じられないことでした。」

 祈祷会を始めてから第4週目の週に、1857年の経済大恐慌が起こりました。一ヶ月で1400以上の銀行が破綻しました。人々は以前よりももっと熱く神に 向かって叫び始めました。ランピエールの教会で始まった祈祷会は、ボストン、シカゴ、ニューヘブン、フィラデルフィア、ワシントン、そして南部まで拡がっていきました。翌年の春、2000人のシカゴ市民が毎日正午にメトロポリタン劇場に集まって祈っていました。シカゴから引っ越してきたばかりの21歳の青年が、この集まりでキリストの召命を受けました。その青年がドワイト・ムーディーでした。

 今日のアメリカ人たちに、説教者や本、聖書翻訳や斬新な教理が足りないと考える人がいるでしょうか。本当に私たちに足りないのは、神が天の門を開いて神の御力を見せてくださる時まで、神に向かって叫び続ける情熱なのです。            答えられる祈りの約束 / ジム・シンバラ


今朝のニュースで、欧米人がお箸を使って食事をすることによって肥満防止になると言っていた。
確かに、慣れない人が指先で食物を挟み口に運ぶ食文化は、指先の神経の集中、
一度に沢山の食物を口に運べないことなど、食事に時間がかかることも含め効果があるかも知れない。
そうは言っても、どちらにしても食事に気を配る事から始めなければならない。
決断と意志、努力が必要だ。

クリスチャンにとって霊的食物は神のみことばである聖書のことば。
これも毎日適量を食べなければ栄養不足になる。
ところが、多くのクリスチャンは栄養不足どころか、餓死状態。

毎日「いのちのパン」を食べずに、どうしてキリストの香りを放てられるだろうか。
家族の救いを願うなら、日々のデボーションと祈りという神との交わりは欠かすことができない。

聖書をどこから読んだらいいか、どう読んだらいいか分からないなら,
良い日々のみことばのウエブページが沢山ある。
毎日直接メールに送ってもらう事も出来る。
たとえ、一日5分でも10分でも毎日続けることが力になる。

娘が幼い頃、箸をきちんと使えるようにと、友人が箸までかってきて教えてくれていた 。
きびいしいしつけだったが、彼に委ね信頼して任せたことで、娘は私よりずっと箸の使い方が上手だ。
箸だけでなく、幼い頃から家内が一緒に料理を作らせていたので、料理も上手で早い。

やはり努力と訓練は欠かせない。

信仰生活も同じ、毎日の習慣が成長の秘訣。

いくつか紹介するので是非、活用してほしいと心から願っている。

ルターによる日々のみことば www.cgi.koluthse.jp/cgi-bin/webcal/list.cgi
リビングライフ www.qt.swim.org/user_dir/japanlife/previous.html
クリスチャンジャパンテレビジョン(CJTV)www.cjtv.jp/jpn/programas/wordtoday/wordtoday.html
新しい年が明けました。
経済不況の中で世界があえいでいます。
そして、私たちの生活の中にも、日々その影響が及んでいます。

ですから、絶えず祈ってその日の生活を始めてください。
信仰は最後に至るまですべての旅路について思い巡らすことではありません。
最初の一歩を踏み出す事で十分です。

あなたの人生の計画を主に委ねて歩みだすのです。
そして、最初の一歩を踏み出す勇気を与えられるように祈りましょう。1260014148.jpg

主よ、この日を穏やかに歩ませてください。
心を静め、心の鼓動を鎮めてください。
永遠の時の流れに照らし、私の歩幅を整えてください。
日常の忙しさの中にも、山のようなどっしりとしたものを与えてください。

記憶の中に生きづく美しい思い出のメロディーで、神経や筋肉の緊張をほぐしてください。
睡眠がもたらす不思議な新しい力を悟らせてください。
手を休め、花をみつめ、友と語り合い、犬の頭をなで、本の項をめくる、
ささやかな休息をたびたびとらせてください。

また、心がはやるとき、あの「うさぎとかめ」の話を思い起こさせ、
ただ、急ぐことだけがすべてではないことを、心にとめさせてください。

高い木を見上げて、そんなにまで大きい高い木になったのは、
時間をかけた確実な成長の賜物であることを悟らせてください。

主よ着実に歩かせてください。
永遠に価値あるものに深く根をおろし、
より大きな目標を目指して励むものとさせてください。

イエスの御名によってお祈りします。アーメン (作者不詳)


[新共同訳]  詩編    34編10節                 
 主の聖なる人々よ、主を畏れ敬え。主を畏れる人には何も欠けることがない。



c2ca87b0.jpeg ここに掲載した絵は「祈りの手」と呼ばれています。両手を組み合わせて祈っている手首だけの絵です。

キリスト者でしたら一度は見たことがあるかと思います。

 

キリスト教書店に行くと、この絵のカードが置いてありますが、この絵は、ドイツのアルブレヒト・デューラー(1471-1528)という画家が描いたものです。

カードには次のような説明がついています。「この祈り手は、デューラーが貧しい画家だった頃、彼の生活を支えるため働いてくれた親友の手を、彼が感謝を込めて描いたと言われている」。

 

デューラーは子たくさんの貧しい鍛冶屋の子として生まれました。小さな時から画家になりたいという夢を持っていて 大きくなって自分の夢を叶えるため、当時とても有名であった画家を訪ね、運良く弟子入りを許されました。でも、貧しいデューラーには絵の具やキャンバスを買うお金がありません。せっかく有名な画家の弟子になれても、満足に絵を描けずにいました。

デューラーと同じように、貧しい一人の弟子がいました。同じような境遇でしかたすぐに意気投合し、仲良くなりました。二人とも、なかなか絵も描けず、日々の生活費に事欠く始末・・・。

 

仲間の弟子は思いあまって、デューラーに言いました。「このままでは二人とも画家になる夢を捨てなくてはいけない。デューラー、聞いてくれ一人が働き、もう一人がそのお金で絵の具を買い、絵を描くんだ。そして4年経ったら、交代する。いい考えだろう?まずボクが働きに行く!君は絵を描くんだ!!」

 

仲間の弟子は炭坑に行き、毎日必死に働きました。デューラーは彼から生活費を分けてもらい、絵に没頭しました。

 

時は流れ、デューラーの才能が開花し、画家として個展を開くまでになりました。

その個展で初めて絵が売れ、デューラーはそのお金を持ち、大喜びで仲間の弟子の家を訪ねました。

「やったよ。絵が売れたんだ。もう君は炭坑に行かなくてすむ。今度はボクが君の生活費を稼ぐ。そのお金で、思う存分、絵を描いてくれ!」デューラーは言ったのです。

 

でも仲間の弟子は、力なく笑い、首を振りました。

「おめでとう。本当によかった。でもボクはもうダメなんだ。炭坑での力仕事がたたって、ほら、指が曲がったままなんだ。手も震えて、もう繊細な絵は描けない・・・。」

 

デューラーはショックを受けました。「ボクのために、ボクの犠牲になって、君は・・・ すまない・・・」 小さな震える声でわび、そして仲間の弟子の家を出て行きました。

 

自分の成功が友達の犠牲の上に成り立っていた。彼の夢を奪い、僕の夢が叶った。深い罪悪感に襲われる日々を過ごしていたデューラーですが、「何かボクに出来ることは?」「少しでも彼に償いを!」という気持ちに押し出され、彼はもう一度仲間の弟子の家を訪ねました。

 

ドアを小さくノックしました。ドアは開きません。でも確かに人がいる気配がします小さな声も部屋の中から聞こえてきます。デューラーは恐る恐るドアを開け、部屋に入りました。

 

すると、仲間の弟子が静かに祈りを捧げていました。歪んでしまった手を合わせ、一心に祈っています。

「デューラーは私のことで傷つき、苦しんでいます。自分を責めています。神さま。どうかデューラーがこれ以上苦しむことがありませんように。そして、私が果たせなかった夢までも、彼が叶えてくれますように。あなたのお守りと祝福が、いつもデューラーと共にありますように。」

 

自分のことを恨んでいるに違いないと思っていたのです。その彼が、自分のことではなくボクのことを一生懸命祈ってくれている。

 

仲間の祈りを静かに聞いていたデューラー。祈りが終わった後、彼に懇願しました。

「お願いだ。君の手を描かせてくれ。君のこの手でボクは生かされたんだ。君のこの手の祈りでボクは生かされているんだ!」

 

 私もデューラーの仲間の弟子のようでありたいです。

 ところで、祈りを覚える時に「5本の指の祈り」があります。私たちは誰もが手を持っているので、祈る時に自分の指を見ながら、とりなしの祈りを捧げるのです。

 

 紹介しましょう。

 

5本の指の祈り  

 

1.自分の身体から見て一番近い指は親指。先ずは、もっとも近くにいる人、愛する人のために祈ろう。一番に心に浮かぶし、愛する人のために祈るのは、それは「うれしい義務」なのだから。

 

2.次の指、人差し指は「示す」指。なので、教える人、指導する人、癒す人のために祈ろう。教師、医者、教会の指導者たちもその中に入る。他の人を正しい方向に導くために、彼らこそ、支えられたり、知恵を必要としている人びとだから。

 

3.次の指は一番長い中指。それで長である人を心に留めよう。大統領、(総理大臣)、職場の上司、経営者のために祈ろう。こういう人たちが国を作り、世論を導いていく。彼らこそ神の導きが必要だから。

 

4.4番目の指は薬指。たくさんの人を驚かせる事だが、実はもっともか弱い指である。どんなピアノ教師もみなそう言う。弱い人、困っている人、痛みを感じている人を思い出して祈ろう。その人びとは夜も昼もあなたの祈りを必要としている人びと。彼らのためにはどんなに祈っても、祈りすぎることがない。

 

5.最後は最も小さな指の小指。神様の偉大さに照らして、他者にとって、自分の存在がいかに小さいかを思い出し、自分のことをこの指にあてはめよう。聖書にこう書いてある。

 

「あなたがたのうちで最も小さいものが最も偉大なのである。」小指を見て、自分のために祈ることを思い出そう。他の4本の指によって、自分以外の人びと を心に留めて祈った後には、きっと自分のために必要なことも見分けられ、神様にもっとよりよく祈ることができるようになっているはずだから。

 

神への祈りで一年を終え、新しい年を祈りで始めましょう。祈りこそが、神の御手を動かすのですから・・・。

 

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プロフィール
HN:
マスタージッコ
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1955/10/13
職業:
牧師
趣味:
旅行、クラシック音楽鑑賞、将棋
自己紹介:
ノースカロライナ州ラーレーの日本語教会の牧師をしてます。最愛の妻と娘夫婦がいます。
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