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アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
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信仰のみ---約束に対する信頼と不信仰の結末1002148097.jpg

今、あなたは何を見つめて生きておられますか? 自分の弱さや人の欠点、問題や悩みだけを見つめているなら、沈んでしまいます。主を見上げ、主を信頼し、自分のこれからの人生に大きなビジョンを持ちましょう。

その為の大切な二つのことがあります。

第一に、目を上げて、神を信じなさい!

 困難があり、悩みや戦いがあっても、その中から見上げる時、勝利は輝くのです。ペテロがキリストを見つめた時、嵐の海を歩くことができたように、あなたが今いる所で目を上げて信仰をもつなら、あなたも勝利者になれるのです。

第二に、東西南北を見なさい。つまり、狭く見るのではなく、広く見るのです。大きく見ることが祝福をもたらすのです。ヤベツの祈りのようにあなたの地境を広げてもらうように祈るのです。今日、人のあら探しばかりしてはいませんか? 自分の欠点ばかり見つめていませんか?

 

信仰なしに、ビジョンはありません。信仰なしに、祝福も成長もありません。信仰は「未来を先取りする」ことです。できると信じる心、できると考えることです。イエス・キリストは死にさえ勝利してよみがえられました。このイエス・キリストを信じる信仰こそ、世界で最も大きな力です。

 

私たちはイスラエルの失敗から学ぶべきです。

旧約聖書の民数記1420~35節には約束に対する信頼と不信仰の結末が記録されています。

[新改訳]  民数記                   

14:20 主は仰せられた。「わたしはあなたのことばどおりに赦そう。

14:21 しかしながら、わたしが生きており、主の栄光が全地に満ちている以上、

14:22 エジプトとこの荒野で、わたしの栄光とわたしの行なったしるしを見ながら、このように十度もわたしを試みて、わたしの声に聞き従わなかった者たちは、みな、

14:23 わたしが彼らの先祖たちに誓った地を見ることがない。わたしを侮った者も、みなそれを見ることがない。

14:24 ただし、わたしのしもべカレブは、ほかの者と違った心を持っていて、わたしに従い通したので、わたしは彼が行って来た地に彼を導き入れる。彼の子孫はその地を所有するようになる。

14:25 低地にはアマレク人とカナン人が住んでいるので、あなたがたは、あす、向きを変えて葦の海の道を通り、荒野へ出発せよ。」

14:26 主はモーセとアロンに告げて仰せられた。

14:27 「いつまでこの悪い会衆は、わたしにつぶやいているのか。わたしはイスラエル人が、わたしにつぶやいているつぶやきを、もう聞いている。

14:28 あなたは彼らに言え。これは主の御告げである。わたしは生きている。わたしは必ずあなたがたに、わたしの耳に告げたそのとおりをしよう。

14:29 この荒野であなたがたは死体となって倒れる。わたしにつぶやいた者で、二十歳以上の登録され数えられた者たちはみな倒れて死ぬ。

14:30 ただエフネの子カレブと、ヌンの子ヨシュアのほかは、あなたがたを住まわせるとわたしが誓った地に、だれも決してはいることはできない。

14:31 さらわれてしまうと、あなたがたが言ったあなたがたの子どもたちを、わたしは導き入れよう。彼らはあなたがたが拒んだ地を知るようになる。

14:32 しかし、あなたがたは死体となってこの荒野に倒れなければならない。

14:33 あなたがたの子どもたちは、この荒野で四十年の間羊を飼う者となり、あなたがたが死体となってこの荒野で倒れてしまうまで、あなたがたの背信の罪を負わなければならない。

14:34 あなたがたが、かの地を探った日数は四十日であった。その一日を一年と数えて、四十年の間あなたがたは自分の咎を負わなければならない。こうしてわたしへの反抗が何かを思い知ろう。

14:35 主であるわたしが言う。一つになってわたしに逆らったこの悪い会衆のすべてに対して、わたしは必ず次のことを行なう。この荒野で彼らはひとり残らず死ななければならない。

 

救いは神の一方的な恵みです。イスラエルの民がエジプトの奴隷から解放されたのは神の恵みでした。

この章で、民の不従順と不信仰に対して、神は疫病によって民を滅ぼそうとされましたが、モーセの執り成しの祈りによって計画を撤回されました。

神は罪を赦されますが、一定の代価を要求されます。疫病からの滅びはまずがれましたが、不従順な民は、約束の地カナンに入ることができませんでした。信仰によって神の約束を信じ歩む人だけが神の約束を手にすることができるからです。

ヘブル人への手紙318~19節にある通りです。

[新改訳]  ヘブル人への手紙         

3:18 また、わたしの安息にはいらせないと神が誓われたのは、ほかでもない、従おうとしなかった人たちのことではありませんか。

3:19 それゆえ、彼らが安息にはいれなかったのは、不信仰のためであったことがわかります。

 

神の約束はすべての人に開かれていますが、ただで与えられるものではありません。カレブのように、神を完全に信頼し、その約束を信仰によって見上げる人だけが手にできるのです。神はイエスを通して、私たちに神の国を約束されました。神の国は信仰の目でのみ見ることができます。それはイエスを完全に信頼し、信仰によって見る人に開かれている約束の地なのです。

神は私たちの祈りだけでなく、言葉と考えまでも観察されます。その方は、「わたしの耳に告げたとおりをしよう」(28)と語られました。民が「荒野で死んだほうがましだ」(142)と言ったその通りに、神は彼らに40年間荒野で倒れて死ぬと言われました。反面、ヨシュアとカレブは「そこを占領しよう。必ずそれができるから」(民数記1330, 1489節参照)と語った通りに、カナンの地に入ると語られました。言った「そのとおりに」なりました。神は不従順な民の子どもたちを、カナンの地に導き入れると約束されました。彼らにとって荒野での40年は、神の懲らしめの期間でしたが、彼らの子どもたちには、聖なる民となるための訓練の期間でした。 約束の地に対する神の約束は決して破られません。

ここに、信仰の言葉を口にした結果と不信仰の言葉を口にした大きな違いがあります。それは祝福とのろいという大きな結末の違いになるのです。

 

私たちは意識して、信仰の言葉、肯定的な言葉を使う必要があるのです。

私たちは、同じ口から感謝と不平、つぶやきが出てきます。「わたしの耳に告げたそのとおりをしよう」という神様の厳しい警告を覚え、信仰の言葉を話せるよう願います。

 

主イエスが言われた「あなたの信仰の通りになれ」ということばの重さを思い巡らす1週間としたいものです。

 

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先日、電話で娘たちが持っている聖書クラスから、「分からないところがあるので教えて」と言ってきました。
Skypeをつないで、直接学びに来ておられる姉妹たちとお話しました。
内容は第一ペテロ3章18-20節についてでした。
説明した後、後日、この箇所の理解でとても大切なことを確認しました。
それは、救いは一方的な恵みであって、
私たちが救われたのも、かろうじて神の憐れみがあったものだということです。
同じ4章の17節から19節に、

[新改訳]  ペテロの手紙第一         
4:17 なぜなら、さばきが神の家から始まる時が来ているからです。さばきが、まず私たちから始まるのだとしたら、神の福音に従わない人たちの終わりは、どうなることでしょう。
4:18 義人がかろうじて救われるのだとしたら、神を敬わない者や罪人たちは、いったいどうなるのでしょう。
4:19 ですから、神のみこころに従ってなお苦しみに会っている人々は、善を行なうにあたって、真実であられる創造者に自分のたましいをお任せしなさい。

とあります。

神さまの裁きは、まず教会から始まるということです。
 私たちクリスチャンの間でしばしば語られることは、福音を聞いたことがない人は救われるかどうか、幼児で死んだ人は救われるか、死後のセカンドチャンスはあるかなどのことです。そこに共通している考えは、「人は救われる」という前提です。しかし、この個所を読むと、信仰をもって義人と認められた者はかろうじて救われるというふうに、救いは奇蹟であることを忘れています。人は、その罪の為に滅ぼされて当然なのです。神の定めた罪の代償として、地獄に行くのにふさわしい存在なのです。しかし神が憐れんで くださったので、私たちはかろうじて救われるのです。

そうであるなら、私たちはどれほど謙遜でなければならないでしょう。

イエス様は霊において、ノアの時代の捕らわれ人たちにみことばを宣べ伝えられました。
しかし、神のことばを信じて救われたのはたった8人だけでした。

このことはバプテスマの型であると言っています。

[新改訳]  ペテロの手紙第一         
3:18 キリストも一度罪のために死なれました。正しい方が悪い人々の身代わりとなったのです。それは、肉においては死に渡され、霊においては生かされて、私たちを神のみもとに導くためでした。
3:19 その霊において、キリストは捕われの霊たちのところに行ってみことばを宣べられたのです。
3:20 昔、ノアの時代に、箱舟が造られていた間、神が忍耐して待っておられたときに、従わなかった霊たちのことです。わずか八人の人々が、この箱舟の中で、水を通って救われたのです。
3:21 そのことは、今あなたがたを救うバプテスマをあらかじめ示した型なのです。バプテスマは肉体の汚れを取り除くものではなく、正しい良心の神への誓いであり、イエス・キリストの復活によるものです。
3:22 キリストは天に上り、御使いたち、および、もろもろの権威と権力を従えて、神の右の座におられます。


神の約束を信じmessage.jpgて従ったノアのように、この不義の時代であっても信仰を貫く者でありたいものです。
救いは、神の恵み、憐れみである事をいつも心に留めておきましょう。

写真は秋の紅葉の落ち葉で十字架とイクスースの魚を作ってみました。


 

神さまの恵みを本当に知って成長していくクリスチャンは、
受けるよりも与える方が幸いである事を知っています。
私たちは、本当は全てを与えられているのは、それを管理して有効に用いる為であり、
そのようにして初めて、神の恵みの大きさを知るのです。

先日、翻訳の依頼で、あるメールを受け取りました。
そこには、私たちが神さまの恵みをどのように扱っているかのチャレンジがありました。

Once Upon a Time Apple.jpg

 

Once Upon A Time There Was A Man Who Had nothing

昔々 何も持たない一人の男がいました。

 

and God Gave Him Ten apples

それで、神は彼に10個のりんごを与えました。

 

He gave him the first three apples to eat.

最初の3つのりんごは、それを食べる為に与えたものでした。

 

He gave him three more apples to trade for a shelter from the sun and rain.

さらに、3つのりんごは太陽の日差しや雨から彼を守る為のシェルターの為に与えました。

 

He gave him three other apples to trade for clothing to wear.

神は彼に、さらに3つのりんごを衣服の為に与えました。

 

He gave him the last apple so that he might have something to give back to God to show his gratitude for the other nine.

最後のりんごは、何か他の9つに対する彼の感謝を示すために神に戻すことがあるように、神は彼に最後のりんごを与えました。

 

The man ate the first three apples.

男は最初の3つのりんごを食べました。

 

He traded three apples for a shelter from the sun and rain.

また彼は、日差しと雨を避ける為のシェルターと3つのりんごを交換しました。

 

He traded three other apples for clothing to wear.

そして、他の3つのりんごは衣服と交換しました。

 

Then he looked at the tenth appleand it seemed better and juicier than all the rest.

それから彼は10個目のりんごを眺めました。それはたの9つのりんごよりもジュウシーでおいしそうに見えました。

 

He knew that God had given him the tenth apple so that he might return it to him out of gratitude for the other nine. But the tenth apple looked bigger and juicier than the rest. And he reasoned that God had all the other apples in the world

彼は、神が他の9つの感謝に(恩返しに)それを彼に返すことができるように神が10番目のりんごを彼に与えたのを知っていました。 しかし、10番目のりんごは残りよりさらに大きくジュウシーに見えました。 そして、彼は、神が世界で他のすべてのりんごを持っていると結論しました。…

 

So he ate the tenth apple and gave back to God the core.

それで彼は10個目のりんごを食べ、そして神には、りんごの残りかすの芯を返しました。

Application: God has given enough apples to supply your needsplus at least one with which you may show your gratitude to Him. In many instances God is given the leftovers or the core.

適用:神はあなたに必要な十分なりんごを与えられます。そして、少なくとも彼に感謝の気持ちを表すことのできるものを与えられます。多くの場合、人は神に残り物の芯しか返す事をしません。

 

Scriptures teach we should give to God first,

 Honor the Lord with thy substance, and with the first fruits of thine increase(Prov. 3:9).

聖書は私たちに、まず初めに主にお返しするよう語っています。

あなたの財産とすべての収穫の初物で、主をあがめよ。(箴言39節 )

 

The choice is yours. Will you return to God the largest and juiciest of your apples
or only the core?

あなたの選択です。あなたは大きくてジュウシーなりんごを神にお返ししますかーーーーーそれとも残りかすの芯を返しますか?

 

もし私たちが、自分が何かを受け取ることを第一目的として、人と交わろうとするならば、どうなるでしょうか?

私たちは、その人から自分が期待しているものを得ることができないと、落胆し、その人を非難し、その人を憎みまでしてしまいます。

相手を建て上げるのではなく、反対につぶしてしまうようなことまでします。

 

私たちがしばしば使っている「交わり」という言葉には、 何と自分たちが得られることを期待していることが多いことでしょうか。

 

教会に行くのも、得ることを期待して、祝福を受け取ることを期待して行きます。

 

神と人に仕え、神にささげて、人に分け与えるために教会に来ることはあるでしょうか?

 

けれども、実は、聖書が使っている「交わり」というギリシヤ語コイノニアは、もともと分け与える、というのがその意味なのです。与えることによって、その与えている相手と私たちは交わることができます。ですから、与えるところに神の恵みがあるのです。

 

 本当に神の恵みを体を持って知る事のできるのは、実は与えて喜べるようになった時なのです。

 

あなたは、いかがですか? 

どう、祈ればよいのかyhst-93128105900816_2058_95745574.jpg

 

神によって神殿を建造する事を許されたソロモン王は、神殿が完成して、全会衆を集めて、神の前に祈ったとき、次のように、とりなしの祈りをしています。

 「また、あなたの民イスラエルの者でない外国人についても、彼があなたの御名のゆえに、遠方の地から来て、 ――彼らは、あなたの大いなる御名と、力強い御手と、伸べられた腕について聞きますから。――この宮に来て祈るとき、あなたご自身が、あなたの御住まいの所である天でこれを聞き、その外国人があなたに向かって願うことをすべてかなえてください。そうすれば、この地のすべての民が御名を知り、あなたの民イスラエルと同じように、あなたを恐れるようになり、私の建てたこの宮では、御名が呼び求められなくてはならないことを知るようになるでしょう。」(第一列王記84143節)

 

神殿はすべての民の祈りの家です。ソロモンは神殿で祈り、神に答えをいただく資格をイスラエルに限定しませんでした。異邦人であっても、神の救いのみわざについて聞 き、神殿に来て祈るなら、彼らの祈りも聞いてくださるよう祈りました。神は全宇宙の創造主で唯一なるまことの神であり、神に祈る人々のために恵みと御力を与えてくださる方だからです。

 

マックス・ルケードはその著書の中で「苦しみ日の恵み」について、次のように言っています。

「私たちは神に話をすることができます。神が聞いておられるからです。御国で私たちの声は大切に扱われます。神は私たちの声に真剣に耳を傾けてくださいます。

神の御前に出て行くとき、神は私たちの声を聞くために、私たちの方へ御顔を向けてくださいます。ですから、相手にしてもらえないかもしれないなどという心配は無用です。

たとえ言葉につかえたり、ほかの人が私たちの言葉に何の反応を示さなくても、神だけは耳を傾けて感動されます。

 神は老人ホームにいるお年寄りたちの訴えも聞いておられます。死刑囚たちの胸詰まる告白も聞いておられます。アルコール中毒の人が恵みを求めるとき、夫と 妻が結婚生活の知恵を求めるとき、社会人たちが職場を抜け出して礼拝堂の片隅にひざまずくとき、神は彼らの声を聞かれます。主は深く、集中して聞かれます。」と・・・。

 

祈り

 

神様

 

誰にも理解してもらえない寂しさと
悲しみを負いつづけて生きています

 

孤独の苦しみのときに
たったひとりでも共に苦しんでくれる友を
求めて あてどなくさまよいます

 

ひとりの苦しみに耐えて祈っている時に
わたしのため 独りで祈ってくれる方がいる

 

わたしのために 心配し苦労し
忍耐し 泣いてくれる主イエスがいてくださると知りました

 

「もう癒されることはないのでは」と
死の床辺でひとりの苦しみに生きている友

 

人と人との争いと憎しみの言葉が飛び交うところで孤独に苦しむ友もいます

 

仕事に疲れ果てて この悲しみを思います

 

ひとりの人間として 生きていくときに誰もが味わう 痛みである事を知ります

 

病んでいる友の 死の床辺を訪ねるとき
この底知れない 孤独の苦しみに耐えていることを 何度も何度も知りました

 

「あなたのために」祈っている人がいる
「あなたのために」悲しみや痛みを
共にしてくれる方を忘れてはいけないと祈ります

 

主イエスはいつも「あなた」と「わたし」のそばにいてくれます 祈っていてくれます

 

この恵みをどんな時にも信じさせてください
                               

                         石井錦一著「癒されない心の祈り」より 教文館発行

 

コロラドのGolden市にある娘たちの住むアパートには沢山の野うさぎが生息しています。
昨年訪れた時に、ここはよっぽど外敵が無く安全なうさぎの住処なのだと思いました。
沢山の石垣があり、その隙間が住まいとなっています。
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しかし、今年、大きな外敵を目撃しました。
外敵のひとつは狐です。朝方、大きな狐がうさぎの子供を追いかけ、口に銜えて走り回っていました。

さらに蛇です。あの猛毒のガラガラヘビ。
鳥の雛まで狙い、うさぎの巣の岩の隙間にも進入して獲物を探し回っていました。
ガラガラヘビは人間にとっても大敵です。毎年被害者が出ます。
猛毒で、噛まれたところは腐り、患部を切除しなければならないこともあり、命を落とすことがあります。

それでも、安全な場所なのでしょう。
沢山のうさぎの子供たちが草を食んでいます。

毎日、見るので、3階の部屋から望遠で、リラックスして日常のうさぎの姿を写しました。
立ち上がって、唾液を手につけ顔を洗う様子です。

ゆっくりした休暇の中でしか、見ることの出来ない光景でした。
ガラガラ蛇もここに何十年も住んでいる人でも、実際に見たことのない人が沢山います。

山に面した住居ということもありますが、貴重な体験でした。
聞くのと見るのは大違い、本当に生息していることを実感しました。

ところで、私たちにも大敵があります。

それは、心の内側に住む罪の性質であり、それを操ろうとして、私たちを罪へと誘い、
神から遠ざけようとするサタンの巧みな業です。

罪の支払う報酬は死ですが、
神の恵みは、罪の支配から私たちを解放してくださいます。

その為に、イエスは十字架ですべての人の罪の贖いとなられたのです。

信仰は、十字架上で「完了した」と叫ばれた、そのイエスの救いを仰ぎ見て信じきることなのです。

蛇が出たこの日、雛鳥を守る為に、親鳥は蛇の近くで翼を羽ばたきながら、蛇を牽制し、巣に近づこうとする
蛇を懸命に遠ざけようとしていました。蛇はウサギの巣を探りながら、親鳥に追われ、雛鳥は守られました。

私たちも、十字架の翼の陰に身を置くことによって、罪の性質から守られ、罪を犯さずに住みます。そこが、私たちにとって安全な隠れ場なのです。

その中で、リラックスして日常の生活がおく
R1.jpgR2.jpgR3.jpgられるのです。










「あなたは主を避け所とし、いと高き者をすまいとしたので、災いはあなたに臨まず、悩みはあなたの天幕に近づくことはない。それは主があなたのために天使たち に命じて、あなたの歩むすべての道で、あなたを守らせられるからである。たとい千人があなたのかたわらに倒れ、万人があなたの右に倒れても、その災いはあなたに近づくことがない」  詩篇91篇より




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プロフィール
HN:
マスタージッコ
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1955/10/13
職業:
牧師
趣味:
旅行、クラシック音楽鑑賞、将棋
自己紹介:
ノースカロライナ州ラーレーの日本語教会の牧師をしてます。最愛の妻と娘夫婦がいます。
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