アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
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こんな話があります。
サイラスはパリで機械の販売をてがけている商人だが、聖書をいつもポケットに入れているほど神のことばを愛していた。
このために人々からの信用も厚く、従業員を多く使って商売は繁盛していた。
ある週末、仕事が終わったときサイラス社長は従業員を集めて言った。
「ここに聖書と銀貨を用意した。諸君が明日こころ安らかに過ごすために、どちらか好きなほうをあげよう」
従業員は社長の前なので決めかねていたが、勇気をだした一人が口を切った。
「社長の愛読書の聖書もひじょうにありがたいのですが、いまはお金が何よりも必要なので、銀貨をいただきます」
「けっこう。お金はひじょうに大切で役に立つものだ。必要なものだけに使ってくれ」といって十五フランを与えた。
それからは次から次と彼らは銀貨を選んでよろこんで帰っていった。
最後には最近入ったばかりで、仕事を覚えようと一生懸命になって働いていた十五歳のハンネがいた。
「ぼくには聖書をください。毎朝、社長が読んでくださっている聖書のことばを、これで病床にいる母に読んで聞かせることができます。神さまのことばを聞いてどんなに母が喜ぶでしょう」
社長はたいへん喜んでハンネに真新しい聖書を渡した。
彼は尊敬する社長が愛用しているものと同じ聖書が与えられて感動し、大急ぎで母のもとへ帰った。
母に聖書をいただいたいきさつを話して聞かせながら、そっと表紙をめくった。
すると、キラッと光るものがはさんであった。なんと五十フランの金貨だった。
“Assuredly, I say to you, unless you are converted and become as little children, you will by no means enter the kingdom of heaven.“
「まことに、あなたがたに告げます。あなたがたも悔い改めて子どもたちのようにならない限り、決して天の御国には、はいれません。」(マタイの福音書18章3節 )
少年の得たものは、誰が選んだものよりも価値があった。
「人はパンだけで生きるのではない」と言われたイエス様のことばが響きます。
いのちのパンを選べば、必要は神様が備えてくださるのですね。
イエス様を信頼するものにとって、神様が本当の経営者なのですから・・・・。
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