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アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
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先日NHKで城山三郎氏の遺作「そうか、もう君はいないのか」を取り上げていました。この書に励まされ、慰められ共感した読者から、毎日沢山の手紙が出版社へ届いているらしく、番組の中で読者の手紙が何通か紹介されていました。

今まで、自分の体と一つのような伴侶が側にいなくなることの喪失感の大きさなど、そこにいるから一人になる時間、一人で働く時間が意味を持っています。

いつしか、共に出かけていた宣教の場にも同行できなくなり、二人三脚で歩んできたこの15年を振り返り、考える時間が多くなりました。

自分が一人で留守を守る時、不安があるのに、主の働きの為に送り出してくれる妻と、妻の祈りに支えられている日々です。


その日によって体調が変わり、日によっては体調の悪い病気の妻の身近にいると、私が家内に何が出来るか考えさせられ、本当に健康を願います。家内が私の体のことを失敗して、食事の量や食べるものに気を遣うのもその為です。体は病気を持っていても、心と霊が健康なことは何よりも感謝です。

現代は、健康な体をいただいているのに、心も魂も病気の人たちが沢山居ます。いのちのパンを必要としている時代です。


娘が居たころは、辛い時には、1時間も2時間も背中をさすったり、マッサージをしていました。私が忙しい事もあり、健康を気遣って、本当に体がつらいとき以外は娘のようには体をさすってほしいとか言いません。そんな時、ふと将来の牧会のことを考えることがあります。「長く続けられないかも知れないと・・・・。」


牧者の願いは、信徒ひとり一人が直接キリストに結びつき、キリストからいのちを得る事です。その為に、今、私が愛するキリストの体である信徒に伝えておかなければならないことと、イエス様が最後の晩餐で12弟子たちにどうしても伝えておきたかったヨハネの福音書のことばが重なります。それは、イエス様の遺言であり、後に悟ることになるのですが、新しい希望の契約のことばでした。

以前もTNを離れる前に、同じ経験をしました。そして1年を通じて私の遺言としてのメッセージを伝え続けました。それは、実際に居なくなった時に、わかることもあります。すべての人が理解できた分けではありませんが、体はそこに居なくても霊的にその時のことばが留まった信徒を主は成長させ、さらに働き手として用いられました。

いつまでも時間があるわけではないので、そろそろ遺言としてのメッセージを伝え始めなければならないと考えるこの頃です。

旧約聖書で、モーセを通して与えられた律法は、民の心に罪の自覚を生じさせ、キリストに導く養育係りとして授けられたものでしたが、イスラエルは律法や儀式が象徴的に指し示すキリストを見失い、内面の清さを無視し外面的行いの清さ正しさで自己満足する偽善の民におちていきました。

教会でも同じことが起こりえます。

主は預言者を通して、何度も警告し、悔い改めと回復を願いました。しかし、イスラエルの民は神の教えに背を向け、結果として国が滅び、民が離散してしまったのです。

しかし、神は同時に希望のメッセージを伝えていました。


聖書(The Bible)は、英語では旧約聖書はオールド・テスタメント(Old Testament)、新約聖書はニュー・テスタメント(New Testament)と呼ばれます。このテスタメント(Testament)は契約と遺言という二つの意味をもっています。

ですから、
旧約は神との古い契約で、新約は神との新しい契約という意味を持っているということです。聖書が契約の書と呼ばれる理由は、旧約が神と選民イスラエルとの契約の書であり、新約が神と霊的選民キリスト者との契約の書だからです。旧約がアブラハムとその子孫イスラエル民族に対する神の契約であり(創世記1517節参照)、新約はイスラエル民族と異邦人の壁を撤去して全世界のキリスト信仰者とその子孫とに対して神が結んだ新しい契約です(エペソ人への手紙21122節参照)

この契約はアブラハムの子孫としてのキリストを信じる信仰によって、アブラハムの肉の子孫ユダヤ民族が祝福され(旧約)、同じキリスト信仰によってキリスト信仰者とその子孫が祝福される(新約)という神の契約・約束です。従って、旧約・新約の二つの契約は根本的には一つの契約なのです(ガラテヤ書31316節参照)

そして、聖書が遺言の書と呼ばれる理由は、遺言が遺言者の死によって発効するように聖書の神の約束はキリストの十字架上の死と復活によって発効するからです。 旧約のイスラエルの民はアブラハムの子孫キリストの死を象徴する子羊の血によって罪を清められました。新約の選民キリスト者は、すでに実現したキリストの 十字架のあがないを信じる信仰によって罪を赦され、神との生きた交わり(永遠の命)を享受しているのです。

神と選民との契約は聖書の中で夫と妻、花婿と花嫁との結婚の契約にたとえられています。

キリストの体である教会、花嫁に主が伝えたい聖書のメッセージである神の御心を伝えること。たとえ、厳しい警告であっても、背後に愛のある回復を願うメッセージを恐れずに伝え続けようと決心しています。

皆さんのとりなしの祈りによって励まされ、主の時まで大胆に語り続けられるよう、引き続きお祈りください。


聖書参照箇所

[新改訳]  創世記                   

15:1 これらの出来事の後、主のことばが幻のうちにアブラムに臨み、こう仰せられた。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。あなたの受ける報いは非常に大きい。」

15:2 そこでアブラムは申し上げた。「神、主よ。私に何をお与えになるのですか。私にはまだ子がありません。私の家の相続人は、あのダマスコのエリエゼルになるのでしょうか。」

15:3 さらに、アブラムは、「ご覧ください。あなたが子孫を私に下さらないので、私の家の奴隷が、私の跡取りになるでしょう。」と申し上げた。

15:4 すると、主のことばが彼に臨み、こう仰せられた。「その者があなたの跡を継いではならない。ただ、あなた自身から生まれ出て来る者が、あなたの跡を継がなければならない。」

15:5 そして、彼を外に連れ出して仰せられた。「さあ、天を見上げなさい。星を数えることができるなら、それを数えなさい。」さらに仰せられた。「あなたの子孫はこのようになる。」

15:6 彼は主を信じた。主はそれを彼の義と認められた。

15:7 また彼に仰せられた。「わたしは、この地をあなたの所有としてあなたに与えるために、カルデヤ人のウルからあなたを連れ出した主である。」

[新改訳]  エペソ人への手紙         

2:11 ですから、思い出してください。あなたがたは、以前は肉において異邦人でした。すなわち、肉において人の手による、いわゆる割礼を持つ人々からは、無割礼の人々と呼ばれる者であって、

2:12 そのころのあなたがたは、キリストから離れ、イスラエルの国から除外され、約束の契約については他国人であり、この世にあって望みもなく、神もない人たちでした。

2:13 しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。

2:14 キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、

2:15 ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、

2:16 また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。

2:17 それからキリストは来られて、遠くにいたあなたがたに平和を宣べ、近くにいた人たちにも平和を宣べられました。

2:18 私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。

2:19 こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。

2:20 あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。

2:21 この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、

2:22 このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。

 

[新改訳]  ガラテヤ人への手紙       

3:13 キリストは、私たちのためにのろわれたものとなって、私たちを律法ののろいから贖い出してくださいました。なぜなら、「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」と書いてあるからです。

3:14 このことは、アブラハムへの祝福が、キリスト・イエスによって異邦人に及ぶためであり、その結果、私たちが信仰によって約束の御霊を受けるためなのです。

3:15 兄弟たち。人間のばあいにたとえてみましょう。人間の契約でも、いったん結ばれたら、だれもそれを無効にしたり、それにつけ加えたりはしません。

3:16 ところで、約束は、アブラハムとそのひとりの子孫に告げられました。神は「子孫たちに」と言って、多数をさすことはせず、ひとりをさして、「あなたの子孫に」と言っておられます。その方はキリストです。

 



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プロフィール
HN:
マスタージッコ
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1955/10/13
職業:
牧師
趣味:
旅行、クラシック音楽鑑賞、将棋
自己紹介:
ノースカロライナ州ラーレーの日本語教会の牧師をしてます。最愛の妻と娘夫婦がいます。
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