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アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
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心が伴わない習慣になっていませんか・・・・教会に対する主の愛の警告

習慣というのは恐ろしいものです。信仰生活の中心である、礼拝も、祈りも、賛美も、聖書のみことばを読むことさえも、信仰が麻痺すると、ほとんど流れ作業のようにできてしまうものなのです。

教会という建物に、日曜日の朝の同じ時間に集まって、奉仕をこなすことも、賛美とメッセージと献金とういう形式を消化することも、信仰的ではなく、習慣的に行うことも可能です。

アメリカでも日本でも、この世でキリスト教と呼ばれるものの中には、それぞれの土地の文化や生活習慣、偶像礼拝とさえ結びついた様々な慣習や年中行事が生まれ、それを守り尊ぶことが、信仰だと思い込んでいる人がたくさんいます。

イエス様が来られた当時の宗教指導者たち、ユダヤ人の人たちの多くはそのような人たちでした。後に異邦人の使徒として召されたパウロもそのような信仰者の一人でした。

福音書の中で、イエス様が安息日にしてはならないと考えられていたことをあえて行われたのは、当時の宗教の指導者たちが、「これが信仰だ。」と思い込んでいたものを破壊するためでした。

 マルコの福音書768          

7:6 イエスは彼らに言われた。「イザヤはあなたがた偽善者について預言をして、こう書いているが、まさにそのとおりです。『この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。

7:7 彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから。』

7:8 あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている。」

 イエス様がふたたび来られる時には、もっとひどい状況になっているとみことばは語ります。みことばの権威にまさる人間の言い伝えが教会の中にはびこるでしょう。彼らは、口先では神を敬うし、神を拝みます。しかし、心が神から離れているのです。

旧約の時代、神様はイスラエルの民に対して、自分の愛する子を叱るように、たびたび預言者を遣わし警告しました。しかし、彼らはその預言者たちを殺しました。

そして、ひとり子の神であるイエス様を遣わしましたが、彼らは自分たちの救い主であるイエス様まで殺してしまいました。

 

しかし、そのこともご存知で、イエス様は父なる神のみこころに従い通しました。この十字架の死は、死に打ち勝つ復活によって大逆転したのです。逆転サヨナラ満塁ホームランが放たれのです。

その復活の主が、教会に書き送った手紙があります。

ヨハネの黙示録  31422         

3:14 また、ラオデキヤにある教会の御使いに書き送れ。『アーメンである方、忠実で、真実な証人、神に造られたものの根源である方がこう言われる。

3:15 「わたしは、あなたの行ないを知っている。あなたは、冷たくもなく、熱くもない。わたしはむしろ、あなたが冷たいか、熱いかであってほしい。

3:16 このように、あなたはなまぬるく、熱くも冷たくもないので、わたしの口からあなたを吐き出そう。

3:17 あなたは、自分は富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。

3:18 わたしはあなたに忠告する。豊かな者となるために、火で精練された金をわたしから買いなさい。また、あなたの裸の恥を現わさないために着る白い衣を買いなさい。また、目が見えるようになるため、目に塗る目薬を買いなさい。

3:19 わたしは、愛する者をしかったり、懲らしめたりする。だから、熱心になって、悔い改めなさい。

3:20 見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。

3:21 勝利を得る者を、わたしとともにわたしの座に着かせよう。それは、わたしが勝利を得て、わたしの父とともに父の御座に着いたのと同じである。

3:22 耳のある者は御霊が諸教会に言われることを聞きなさい。」』」

 

このみことばは、最後の審判の記されたヨハネの黙示録の7つの教会に対する、イエス様のことばです。その中にラオデキヤの教会に対することばがありますが、外見的には豊かで富んでいるこの教会に、イエス様がおられなく、主が外で教会の戸をたたいておられるというのです。キリスト不在の教会です。

しかし、主は教会の戸をたたき続けておられます。戸の外からは開けることが出来ません。教会が自ら開けるとき、豊かな主との交わりの中に教会は回復し、主の臨在によって再び祝されて行くのです。

 同時に、このみことばは、私たち一人ひとりにも語っています。

あなたは、キリスト抜きの生活習慣がありませんか? 「主よ、主よ」と祈りながら、主のみことばに従わない生活の分野はないでしょうか?

信仰者はいつも自己点検し、はじめの愛に帰る必要があります。

お祈りしています。

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プロフィール
HN:
マスタージッコ
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1955/10/13
職業:
牧師
趣味:
旅行、クラシック音楽鑑賞、将棋
自己紹介:
ノースカロライナ州ラーレーの日本語教会の牧師をしてます。最愛の妻と娘夫婦がいます。
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