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アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
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聖書の信仰は、今日をいかに生きるかという、とても実際的な信仰です。
随分前に一人の老婦人の美しい生き様を、ニュースレターで紹介したことがあります。
それは、ローザさんという87歳の婦人のことでした。

今年になって、方々を宣教の為に巡回していて、
彼女のような、すばらしい婦人たちと出会います。
そして、勇気付けられています。

また、そんな人たちとの交わりの中で、良く母の事を思い出します。
わたしも、ローザさんのような老後を送り、
人々の生き方に前向きな影響を与え続けながら、
主からのお迎えを待ちたいものです。

タイトルは「歳は誰でもとるけど、成長するのはその人次第」
 

最初の授業の日

先生は自己紹介の後、

まだ知らない学生同士で紹介しあうように勧めました。

私が立ち上がって辺りを見回すと、私の肩を軽くたたく人がいました。

振り向くと、年取ったしわだらけのお婆さんが

輝くような笑顔で、私に微笑みかけていました。

 

 

 

「ねえ坊や、私はローザ。87歳よ。抱擁の挨拶をしてもいいかしら。」

 

私は微笑んで「もちろん」と答えると彼女は私を力一杯抱きしめました。

 

 

 

私が「どうしてその歳で大学に入ったのですか」と聞くと

 

彼女は、いたずらっぽく答えました。

「わたしはここにいるのはね、金持ちの男性を見つけて結婚し、

たくさんの子供をもうけて、それから引退して旅行するのよ。」

 

 

 

「冗談でしょう!」と私は言いましたが、

 

彼女がこの歳で、このような挑戦をする動悸は

いったいなんだろうかと好奇心に駆られました。

彼女は言いました。

「ずっと大学で勉強したいという夢を持っていたのよ。

今それを実現しようとしているところ。」

 

 

 

授業が終わった後、一緒に学生クラブに行き、

 

チョコレートシェーキを一緒に飲み、私たちはすぐに友達になりました。

 

 

 

それから、私たちは毎日一緒に授業に出席し、

 

よくおしゃべりをしました。

私は、いつもこの「年を経た人物」が

その体験と知恵を分かち合ってくれるのを聞いて、

心を奪われ、感動したものです。

 

 

 

一年も経たない内に、

 

彼女はキャンパスの人気者になり、

どこにいってもすぐに友達を作っていました。

美しく着飾ることが好きで、

学生たちの注目を引いていました。

彼女は心から人生を楽しんでいるようでした。

 

 

 

ある日、彼女はサッカークラブのパーティーに招かれました。

 

出席した彼女は、壇上に上がり、

準備していた話を読もうとした時、

原稿を落としてしまいました。

困って少し戸惑った様子で、

マイクを取り、単純に話し始めました。

 

 

 

「すみません、とても緊張してしまって・・・。

 

それでは、原稿を読むのをやめて、

思ったままにはなさせていただくことにしましょう。」

皆が笑うと、

彼女は咳払いをしてから話し始めました。

 

 

 

「歳を取るから遊べないのではなく、

 

遊ばないから歳を取るのです。

いつまでも若く、幸せで、

成功し続けるためには秘訣があるのです。

毎日ユーモアを持って笑うこと、

夢を見ることです。

夢を失った人は死にます。

・・・このあたりを歩いていると、

たくさんの人々が死んでいるのに

それに気づいていないのですよ。

 

 

 

歳をとるということと成長することには

 

大きな違いがあります。

例えば、もしあなたが19歳で

丸一年ベットに横たわっているなら、

生産的なことは何もしないで、

20歳になってしまうでしょう。

もし私が87歳でベットに横たわって

何もしないなら、

88歳になってしまうでしょう。

 

 

 

誰でも歳はとっていきます。

 

そのために特別な技術や才能は必要ではありません。

大切なことは、人生の道のりの中で成長し、

いつも新しい機会に出会うことです。

老人たちは、自分がしたことを後悔するのではなく、

自分がしなかったことを後悔するのです。」

 

 

 

その年の終わりにローザは大学を卒業しました。

 

そして、1週間後の彼女は眠りながら静かに亡くなりました。

「人が自分の可能性を開花させるのに、

遅すぎることはない。」

という模範を示した

このすばらしい女性の葬式には、

2000人以上の学生たちが参列しました。


PR
d91fb969.jpeg   1月20日、大統領の就任式の宣誓で、第44代大統領となるオバマ氏が手を置いた聖書は、リンカーン大統領が宣誓式にに使用した聖書だった。

「今日、私は、私たちが負う職務の前に謙虚になり、あなた方が与えてくれた信頼に感謝し、先祖が払ってきた犠牲に心を留めながら、ここに立っている・・」というメッセージで始まった、バラク・オバマ大統領の就任演説。アメリカ合衆国第44代大統領の就任式は200万人近くの人々が全米から集まり、この歴史的なアメリカ初の黒人大統領誕生に世界中の注目が集まりました。今日の朝刊は、発行部数を増やし、この記念すべき日のニュースを大々的に取り上げています。

就任演説の最後で大統領は「私たちの挑戦は新しい。私たちが成功するかどうかは、労働と誠実さ、勇気、フェアプレー、忍耐、好奇心などにかかっている。古くから言われていることだが、それは真実でもある。それは歴史を進歩させた静かな力だった。今求められているのは、こうした真理への回帰だ。新時代への責任だ。これが私たちの自信の源泉だ。神が、未知の運命を自らの手で形作るよう、私たちに求めたものだ。共通の危険に私たちが直面し、この困難な冬に、これら永遠の言葉を忘れないでいよう。希望と美徳をもって、氷のような冷たい流れに勇敢に立ち向かおう。そしてどんな嵐が来ようとも耐えよう。

将来、私たち試された時に旅を終わらせることを拒み、たじろぐことも後戻りすることもしなかったと私たちの子孫に言われるようにしよう。私たちの地平線を見据えた目と神の恩恵によって、自由の偉大な贈り物を前に進め、それを未来の世代に安全に届けたのだということを。」と国民に呼びかけました。


聖書で神はパウロを通して、私たちに、このように言っています。

[新改訳]  テモテへの手紙第一       

2:1 そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。

2:2 それは、私たちが敬虔に、また、威厳をもって、平安で静かな一生を過ごすためです。

2:3 そうすることは、私たちの救い主である神の御前において良いことであり、喜ばれることなのです。
 

今、この困難な時代に、私たちの責任は大統領を初めとする新しい政府のスタッフとその働きの為に祈り、彼らを支え、私たちそれぞれが負っている責任を果たしていくことだ。神の前に立ったとき恥じる事の無いよう、誠実さと勤勉さをもって自らの責任を果たしていきたいものです。

 
ところで、就任式の開会の祈りはサドルバック教会の牧師リック・ ウォーレン師が祈りを捧げました。戦後の歴代アメリカ大統領とかかわりの深い福音派指導者はNC州シャーロット出身のビリー・グラハム師で、した。1965年のジョンソン大統領就任式をはじめ、ニクソン、レーガン、先代ブッシュ、クリントンと数々の就任式に立ち会いました。病気で欠席した2001年のブッシュ氏の大統領就任式では、息子のフランクリン・グラハム師が代役を務めました。

ウォーレン師は、「新世代の福音派指導者」の一人で、1980年に「今まで教会に行ったことのない人々のための教会を作る」と、オレンジ郡に教会を開きました。彼は若い頃、短期宣教師として、日本の長崎に住んでいたことがあります。サドルバック教会(南部バプテスト教団に属す)は、今では毎週2万2000人が礼拝に集まる米国トップクラスのメガチャーチです。彼は世界で2500万部以上の、ニューヨーク・タイムズ・べスト74週連続1位を獲得した「The Purpose Driven Life(邦題:人生を導く5つの目的)」の著者でもあります。

 
アメリカの歴代大統領はこのような霊的指導者に助言を求めてきた国でもあるのです。ですから、私たちは、教会の霊的指導者の為にも大いに祈るべきなのです。

先日、Wilmingtonでの集会の後、祈りと励ましの必要を覚えMidville Baptist  Churchの姉妹宅を訪問しました。2週間前に、二人の姉妹を家内と一緒にお見舞いしましたが、今回はY姉のお宅に皆さんが集まってくださいました。M姉は前回入院しておられたのですが、この日は私が訪問すると言うので、自宅で沖縄のサタンギを作って持ってきてくださり、家内にとお土産に渡してくださいました。S姉は前日、釣りに出かけて沢山の新鮮な魚を調理し、彼女もまた、おみやげにとすぐに料理できるようにした生魚を持たせてくださいました。
愛餐の食卓は、皆さんが持ち寄った沢山のごちそうであふれていました。
この教会に集まる姉妹たちは、神様への祈りの力を信じています。
楽しい食事の後、祈りの時を持ち、来られた一人ひとりのために手を置いて祈らせていただきました。

その中に、3ヶ月前から透析を始められた、家内よりも8つ年上の姉妹がおられました。
同じように朝の6時から週3日、3時間あまりの透析を受けておられます。彼女も軽い脳梗塞も患っておられ、
やはり右手に麻痺があって、家内と同じく文字が上手に書けません。
体の体質もそっくりで、高血圧に高コレステロールで薬を服用しています。
透析中に血圧が急に下がること、時々足に痙攣を起こすこと。症状も似通っています。
あまりにも似ているので、家内と重なってしまいました。

朝は4時に起きて、透析を受ける前に、必ずその日の治療の為に祈って透析センターに向かわれます。
先週の金曜日から、家内の為に祈りながら送迎する透析センターへの車の中で一緒に二人の為に祈るように導かれました。

弱さを持つことも恵みです。弱いからこそ、病気の人の痛みが自分のことのように思え、祈りも具体的になり
その人の心と一つになることが出来ます。

彼女の21歳になるお孫さんが、「私の腎臓をあげるから心配しないで」と言われたことを話しておられました。
その言葉で、彼女がどのようにお子さんやお孫さんたちから愛されているかが分かります。

なんと感謝な励ましのことばでしょう。

神は、わたしたちがどのように生きてきたか全てをご存知です。
私たちが体験する痛みも決して無駄になることがありません。
主は、同じ痛み持っている人の所に私たちを遣わされます。

共に祈りあえることは幸いです。

その時、主は人の苦しみに同情できない方ではなく、苦しみをも担われたことを知ります。
そして、主がそこに生きておられ、共に歩んでくださり、私たちを背負っておられることが真実であることを
本当に知るのです。

「主よ、あなたを尋ね求める者をあなたは捨てられたことはない。」(詩篇9篇10節)


私たちの主は、真実なお方です。

「これまでに信じて祈った祈りで、神に聴かれないものはありませんでした。これからも決してないでしょう。」
マックレーン

「自分の語る一つ一つのことばによく気を使う人は、また祈る時にも、ことばと思いによく注意して祈る人です。
このような人の神理解は驚くべきもので、その神への思いは、霊的熱情となり、その祈りは熱心で神を動かします。よく祈る人は、よく主を愛する人です。」              アネスレイー博士



主よ、今日一日
貧しい人や病んでいる人を助けるために
私の手をお望みでしたら
今日、私の手をお使いください。

主よ、今日一日
友を欲しがる人々を訪れるために
私の足をお望みでしたら
今日、私の足をお貸しいたします。

主よ、今日一日
優しい言葉に飢えている人々と語り合うため
私の声をお望みでしたら
今日、私の声をお使いください。

主よ、今日一日
人は人であるという理由だけで
どんな人でも愛するために
私の心をお望みでしたら
今日、私のこの心をお貸しいたします。

マザー・テレサ

「先天性無痛覚症」という非常にまれな病気がありますが、この病気は、生まれつき痛みの感覚の無い病気です。痛みが無い為に怪我をしても気づかないのです。凍傷ややけどになっても痛みが無いので、傷がそのまま放置され、そこから細菌が入って深刻な感染症を引き起こします。

また、制御作業としての痛みが無い為、力を入れすぎて骨を折ったり、筋肉や関節を傷つけたりしてしまうそうです。ですから、痛みは、私たちの健康を維持する上で不可欠です。

以前、家内が脳梗塞を患ってしばらく、右半身が同じような痛みの無い状態になったことがありました。やけどをしても、すぐに熱いとは感じず、大きなやけどになったり、打ち身での生傷が絶えなかった時期があります。随分経って、感覚が戻りました。本当に怖い事です。

痛みは人間形成においてもとても大切な要素です。
痛みを知らない人は他人の痛みも知ることが出来ないので、思いやりに欠けた人となりやすいでしょう。人は苦しみや痛みを通して、神が意図した人間らしくなるよう造られているのです。

痛みは肉体の痛みだけでなく、心の痛みもあります。

痛みと言う語の英語「pain」の語源は英語からラテン語、そしてギリシャ語へと辿る事ができます。そして、この語はいずれも「罰」という事に関係しています。痛い思いをしたとき、日本では「バチがあたった」と言いますが、このバチは漢字で書けば「罰」です。

人は痛みを身に負うときに、自分が犯した過ちを探り、今の苦しみ(心の痛み)は、その代価であるという審判のつらさにさらされます。

しかし、聖書は痛みは必ずしも罪の結果の代価(罰)ではないと言います。
痛みを通して、苦しみを通して神に出会うことが出来るといいます。

人は痛みを通して、改めて自分の存在を意識し、神の前に呼び出される時があります。

神の存在を意識し、認識できる機会を痛みは与えてくれるのです。

その時、人となり十字架上で痛みのきわみを体験された、救い主の愛の眼差しに触れるのです。

インドの詩人タゴールはこんなことばを残しています。

私がねがうのは

危険から護られることではなく

危険のさなかで

恐れないことです

 

哀しみのどん底

心のはげしい痛みの中で

慰めてもらうことでなく

哀しみを克服し

勝利を歌うことです

 

逃げ場がなくなった時も

勇気を失なわさせないでください

 

世間的にも大失敗し

挫折の連続に遭っている時も

その害が取り返しがつかないものだと

考えない恵みをいただきたいのです

 

あなたが私を救ってくださる・・

これは私は願っていません

私がねがうのは

のりこえてゆく力です

 

あなたは私の荷を軽くしたり

慰めてくださらなくて結構です

ただ私が重荷を担う

その力をお与えください

 

喜びの日に

謙虚に頭をたれ

私はあなたを思い

あなたの存在を認めます

 

暗く悲しい夜

失意以外何もない夜にも

ああ けしてあなたを

疑うことがありませんように

今週の初めに、ささいなことと軽く見ていた症状から、自分の体をコントロールできない病気になって、しばらくいやがおうにも静寂な時間を、冷や汗をかきながら持つことになりました。

小さな目に見えぬ細菌によって体の一部が化膿し、その痛みといったら歯の耐えられない痛みがジンジンと24時間絶え間なく続くようなものでした。
痛み止めも、抗生物質も軟膏もまったく効かないように思えました。

金曜日の早朝、今朝だけは自分で家内を病院まで送迎しようと、腰を浮かし痛みを和らげようと運転席に着き、
右に体重をかけてどうにか足を浮かして運転しました。しかし、ブレーキをかけるときにはどうしても力が入り腰をうかせたまま運転できません。
「主よ、無事に送って帰って来るまで、この強力な痛みからお守りください」と祈りながら、無事に戻りました。

帰宅後、すぐに大量の膿が下着を濡らしいるのに気づきました。この時が痛みからの解放の瞬間でした。
ふき取ってもふき取ってもしみる膿の処理をある程度済ませ、消毒し、鎮痛剤を飲み、横になりしばらく休みました。すぐに家内の迎えの時間になっていました。なんと今度は、’痛みはありますが、腰を浮かさずに運転できました。ハレルヤ!!

過労とストレスから解放され、主の十字架のことを痛みの中で覚えながら持てた静寂の時間は必要なものでした。
今週、このデボーションは確かな真実として、私の体験からも証言できるものです。
紹介します。
David Wilkerson博士の日ごとのデボーションからです。

霊的な強さの秘密

「まことに、イスラエルの聖なる方、わが主なる神は、こう言われた。『お前たちは、立ち帰って、静かにしているならば救われる。安らかに信頼していることにこそ力がある』と。」(イザヤ書3015節)

ここに、神様の霊的な強さの秘密があります。「安らかに信頼していることにこそ力がある」ということです。ここで使われている「安らか」にという言葉は、ヘブル語で静養という意味です。そしてこの「静養」とは、落ち着いていること、穏やかであること、不安がないこと、閑静であること、下からの支えがある所で横になることという意味があります。

今日のクリスチャンの中で、この様な安らかな信頼を持っている人は、あまりいません。多くの人は、たくさんの活動に参加し、富や財産や快楽を得ようと、必死に走り回っています。ミニストリーにおいても、神様の僕達は不安を覚え、カンファレンスや、セミナーや、ベストセラー本に答えを探そうと、躍起になっています。誰もが導きや答え、また魂を静める何かを欲しがっています。しかし彼らは、主以外の所に、それを探し求めているのです。彼らは、神様がすでにこのことについて、イザヤを通して語られたのだと、気づいていないのです。もし彼らが、主こそすべての源であると、主に立ち帰らないならば、彼らの探求は悲しみと混乱に終わってしまいます。

イザヤは、神様の義が私達の内で、 何を成し遂げるべきなのかを、語っています。「正義が造り出すものは平和であり、正義が生み出すものは、とこしえに安らかな信頼である。」(イザヤ書 3217節)もし私達が、本当に義の内に歩むなら、私達の人生は平安な霊と、心の安らぎと、神様との平和という実を生むことでしょう。

イザヤが周囲を見回すと、神様の民が、人に信頼を置き、馬や戦車により頼み、エジプトへ助けを求めて逃れていくのを見ました。多くの大使が行き来し、リーダーたちは、緊急会議を開いて策略を練っていました。誰もがパニックに陥り、「どうしたら良いのだろう」と嘆いていました。

彼らに対 してイザヤは、こう言いました。「こんな道を たどる必要はないのです。堕落した道から、立ち帰りなさい。他人に信頼を置き、反抗した態度を悔い改めるのです。主に立ち帰りなさい。そうすれば、主はあなたを平和で覆ってくださるでしょう。今あなたが直面しているすべての状況のただ中にあって、主はあなたに平安と安らぎを与えてくださいます。」

 

 


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プロフィール
HN:
マスタージッコ
年齢:
62
性別:
男性
誕生日:
1955/10/13
職業:
牧師
趣味:
旅行、クラシック音楽鑑賞、将棋
自己紹介:
ノースカロライナ州ラーレーの日本語教会の牧師をしてます。最愛の妻と娘夫婦がいます。
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