忍者ブログ
アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
 57 |  56 |  55 |  54 |  53 |  52 |  51 |  50 |  49 |  48 |  47 |
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

「先天性無痛覚症」という非常にまれな病気がありますが、この病気は、生まれつき痛みの感覚の無い病気です。痛みが無い為に怪我をしても気づかないのです。凍傷ややけどになっても痛みが無いので、傷がそのまま放置され、そこから細菌が入って深刻な感染症を引き起こします。

また、制御作業としての痛みが無い為、力を入れすぎて骨を折ったり、筋肉や関節を傷つけたりしてしまうそうです。ですから、痛みは、私たちの健康を維持する上で不可欠です。

以前、家内が脳梗塞を患ってしばらく、右半身が同じような痛みの無い状態になったことがありました。やけどをしても、すぐに熱いとは感じず、大きなやけどになったり、打ち身での生傷が絶えなかった時期があります。随分経って、感覚が戻りました。本当に怖い事です。

痛みは人間形成においてもとても大切な要素です。
痛みを知らない人は他人の痛みも知ることが出来ないので、思いやりに欠けた人となりやすいでしょう。人は苦しみや痛みを通して、神が意図した人間らしくなるよう造られているのです。

痛みは肉体の痛みだけでなく、心の痛みもあります。

痛みと言う語の英語「pain」の語源は英語からラテン語、そしてギリシャ語へと辿る事ができます。そして、この語はいずれも「罰」という事に関係しています。痛い思いをしたとき、日本では「バチがあたった」と言いますが、このバチは漢字で書けば「罰」です。

人は痛みを身に負うときに、自分が犯した過ちを探り、今の苦しみ(心の痛み)は、その代価であるという審判のつらさにさらされます。

しかし、聖書は痛みは必ずしも罪の結果の代価(罰)ではないと言います。
痛みを通して、苦しみを通して神に出会うことが出来るといいます。

人は痛みを通して、改めて自分の存在を意識し、神の前に呼び出される時があります。

神の存在を意識し、認識できる機会を痛みは与えてくれるのです。

その時、人となり十字架上で痛みのきわみを体験された、救い主の愛の眼差しに触れるのです。

インドの詩人タゴールはこんなことばを残しています。

私がねがうのは

危険から護られることではなく

危険のさなかで

恐れないことです

 

哀しみのどん底

心のはげしい痛みの中で

慰めてもらうことでなく

哀しみを克服し

勝利を歌うことです

 

逃げ場がなくなった時も

勇気を失なわさせないでください

 

世間的にも大失敗し

挫折の連続に遭っている時も

その害が取り返しがつかないものだと

考えない恵みをいただきたいのです

 

あなたが私を救ってくださる・・

これは私は願っていません

私がねがうのは

のりこえてゆく力です

 

あなたは私の荷を軽くしたり

慰めてくださらなくて結構です

ただ私が重荷を担う

その力をお与えください

 

喜びの日に

謙虚に頭をたれ

私はあなたを思い

あなたの存在を認めます

 

暗く悲しい夜

失意以外何もない夜にも

ああ けしてあなたを

疑うことがありませんように

PR
この記事にコメントする
Name
Title
Color
Mail
URL
Comment
Password   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
secret (管理人しか読むことができません)
この記事へのトラックバック
この記事にトラックバックする:
♥ Admin ♥ Write ♥ Res ♥
カレンダー
06 2017/07 08
S M T W T F S
1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31
プロフィール
HN:
マスタージッコ
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1955/10/13
職業:
牧師
趣味:
旅行、クラシック音楽鑑賞、将棋
自己紹介:
ノースカロライナ州ラーレーの日本語教会の牧師をしてます。最愛の妻と娘夫婦がいます。
ブログ内検索
アクセス解析
フリーエリア
Copyright ©  マスタージッコの部屋  All Rights Reserved.
* Photo by Kun   * Material / Template by tsukika    * 忍者ブログ [PR]