忍者ブログ
アメリカ、NC州の州都ラレーの日本語教会の牧師をしているマスタージッコ。昔取った杵柄、喫茶店のマスターの時の愛称は今も不滅!
 1 |  2 |  3 |  4 |
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

旧約聖書の伝道者の書(コヘレトの言葉)に次のようなことばがあります。
[新改訳]  伝道者の書   3章1~8節            
3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
3:5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
3:7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。


ここには人間の人生の行動や活動が14対の表現によって見事に対句をなす表現の詩になっています。
いずれのペアも積極面(肯定的な面)と消極的な面(否定的な面)が対比されています。

私たちの人生はこのように喜びや幸せが継続する事によってだけ成り立つのではなく、それとは全く逆の悲しみや苦難が伴うのが人生で、そのどちらおも神は私たちの人生にゆるしておられる方であることを見ます。

そして、苦難を通して得られる大きな恵みのあることを主は語っておられます。

私たちも夫婦も今年35周年の結婚記念日を12月に迎えますが、困難や否定的に思える時が、主がいつも共におられることが一番感じられた時でした。主の愛と主にある家族からの、友人たちからの愛を感じたのもそんな時です。

平安で安定的な時は、同じ主がおられても主との交わりが親密でなくなる危険があります。

どんな時でも、いつでも主に感謝を捧げ、主を讃美し続ける人生を走り続けたい。

今こそ、信仰の原点に帰る時だと思わされている今日この頃です。

そして、主の御声を仰ぎ、聞き従いたいと。

主よ、時を見極める知恵をお与えください。

黙示録の7つの教会に送られた主のことばに、耳を澄ませて、わたしたちの主の時を知る知恵を得させて下さい。

主に感謝を込めて。 
PR
sazanka.jpg先日、とても感動的なお話と出会いました。

山室軍平の母 

山室軍平は日本救世軍の創設者で、明治から大正にかけて、とても大きな働きをキリストの愛によって生きた人です。日本だけでなく、世界でもその名が知られています。

 この人は岡山県の山の中の村に生まれましたが、八番目のこどもで、しかも弱い赤ちゃんだったので、お母さんはかわいそうで仕方がありませんでした。それで どの神様ということもなく、神様に「どうか無事に育つように。こんな山の中だから、えらくなるのはムリでも、世の中のために役に立つ人になれるように」と お祈りをつづけました。そして、そのまごころをあらわすために「私は、一生たまごを食べません」と誓ったのです。

この子が、あんなにえらい牧師さんになったのは、この祈りが答えられたというものです。

このお母さんも、山室先生に教えられて、聖書の中に書いてある、本当の神様を信ずるようになりました。山室先生はたびたびお母さんに「おかげで私はいつも元気だし、およばずながら神と人のために一生懸命働いています。もう祈りがかなえられたのだから、もうたまごを食べて長生きをして下さい」とたのみましたが、「それでも何だか気がすまないから」と言って、一生たまごを食べなかったそうです。

「昔の山の中では、肉も魚もなくて、たまごだけが栄養だったのに、それを食べないのはよくよくのことでした」と山室軍平は、いつも涙ぐんで話していたそうです。

人の愛の中で、母が子を愛する愛が最も神の愛に近いといいます。私の母も、宮大工の棟梁である、男ばかりの兄弟の一人娘でしたが、芯の強い、愛の人でした。そして、母の母もそんな人でした。
次のような口癖に心当たりがないですか?1163789273.jpg










お母さんの130の口癖と子供の130の傷 ─ 金盛浦子『子供を追いつめるお母さんの口癖』(青樹社)より

幼児編
1.        ベタベタしないでちょうだい!
2.        いつまでも泣いてなさい!
3.        可愛いげのない子ね!
4.        静かにしなさい!
5.        これでも片付けたつもり!
6.        やめなさいッ!
7.        そんなことする子は、もうお母さんの子じゃない!
8.        お母さん、あなたのこと嫌いになるから。
9.        そんな子は大嫌い!
10.    何でオシッコっていわないの!
11.    何でそんな悪いことをしたの!ちゃんと説明しなさい!!
12.    あなたはお母さんの時間を奪ってばかりいるわね。
13.    この忙しいときに、わけわからないこというんじゃないの!
14.    早くしなさい!
15.    食べないと大きくなれないよ!
16.    早く寝ないと怖いお化けが出るよ。
17.    怖いおばさんがにらんでるよ!
18.    お父さんに怒ってもらいますからね!
19.    とにかく泣きやみなさい!
20.    あの子のこと、お母さんは大嫌い!
21.    お兄ちゃんに負けちゃダメ!
22.    いつまでも外で泣いてなさい!反省するまで家に入れません!!
23.    置いてっちゃうよ!
24.    うるさい子ね!少しでもいいから黙ってて!
25.    ちゃんとご挨拶しなさい!
26.    もう競争は始まってるのよ!
27.    いい子だからちゃんと勉強しようね。
小学生編
28.    勉強しなさい!
29.    お母さんのためじゃない、あなたのためを思っていってるのよ!
30.    そのくらい、どうしてできないの?
31.    期待してるからね。あなたにはできるんだから…。
32.    お母さんは、そのくらいのこと簡単にできたわよ。
33.    そんなことじゃ落ちこぼれよ!
34.    子どもは勉強だけしてればいいの!
35.    成績が落ちたら、お小遣いはなしよ!
36.    お兄(姉)ちゃんでしょ!
37.    またオネショ!
38.    ハンカチ持った?ティッシュは!
39.    もうあんたの面倒なんかみないからね。
40.    あなたをそんな子に産んだつもりはない!
41.    あんたなんか産むんじゃなかった…。
42.    何を考えてるか分からない子ね。
43.    ね、お母さんとお父さんとどっちが好き?
44.    ウチにはそんなお金ないの。貧乏なんだから…。
45.    また人の真似して…。
46.    我慢しなさい!誰だって嫌なこと我慢して生きてるんだから。
47.    お母さんのいうことに間違いはないの!
48.    お母さんのいうとおりにすればいいの。
49.    いいたいことがあるならはっきりいいなさい!
50.    さっきまでふて腐れてたのが、あらあら、もう調子づいちゃって。
51.    またいい子ぶっちゃって。
52.    ごまかそうたって騙されませんよ!
53.    何度同じこといわせれば気がすむの!
54.    先が思いやられるわ…。
55.    そんなことする子は泥棒と同じ!本物の犯罪者にだってなりかねないよ!
56.    お前にはロクな友達がいないね。
57.    本当にバカな子だね。
58.    だからみんなに嫌われるのよ。
59.    夢のない子ね。少しくらい夢を持ちなさいよ。
60.    忙しいの!あんたの手伝いなんか迷惑なだけ!
61.    次から次へとお母さんを困らせていったいどういうつもり?
62.    もう知らない。勝手にしなさい!
63.    あんたって片付け一つまともにできない子ね。
64.    やる気を出しなさい!やればできるんだから。
65.    どうして食べられないの!なぜ好き嫌いするの!
66.    またニンジン残して…。そんなんじゃ元気になれないわよ。
67.    子供は黙ってなさい。
68.    子供のくせに口答えするんじゃない!
69.    宿題やらなかったらテレビ見ちゃダメ!



 

 私の好きな詩に「ほほえみ」というポエムがあります。
 最初にこの詩に出会ったのは、現清新女学院の理事長、渡辺和子女史の書籍からですが、その後も、何どか、この詩と出会うことがありました。
 彼女の書籍には「作者不詳」とありましたが、調べてみると、この詩はロバート・バー(Robert Barr)という人の作品でした。イギリスの小説家です。
 つい先日、姉妹会の記事で、とても良い記事にであったので、共通することが書かれている、この詩と共に紹介します。


 
『ほほえみ』      ロバート・バー

 ほほえみ、それは少しも元手はかかりません。
 しかし、多くのものを人に与えてくれます。

 ほほえみ、それは人に与えてもいっこうに減りはしません。
 しかし、もらった人を限りなく豊にします。
 しかし、このほほえみはお金で買うことも、人から借りることも、
 盗むこともできません。

 ほほえみ、それを生み出すのに少しも時間はいりません。
 しかし、それを受けた人の記憶の中には
 永遠に残ることさえあります。

 ほほえみ、それがなくても生きていけるほど強い人は
 この世にいません。
 それがなくてもいいほど豊かな人もいません。

 ほほえみ、それは疲れ切った心に休みを与え、
 失望した人に励ましを与え、
 悲しんでいる人に光をもたらしてくれます。

 ほほえみ、それは人生のあらゆる問題に対して
 神が与えてくださる妙薬です。
 ある人はほほえむことができないほど
 疲れているかもしれません。
 だから、その人にあなたのほほえみをあげてください。
 あなたのほほえみを最も必要としているのは、
 その人かもしれないのですから。


与えることの幸い

歳をとって弱くなっていく姿は、目に見えるので、隠すというわけにはいきません。ところが、歳をとっていることが強みであることが、ないわけではありませ ん。その強みは、経験だと思います。なんでもかんでも試してきたはずなのです。失敗も致しました。そのおかげで、高齢者、老齢者は、本物の「生活の知恵」 を身につけている方だと思います。

 イエスの言葉に、「受けるよりは、与えるが幸いである」というものがあります。正直なところ、これは歳をとった時に、やっと分かるのかもしれません。

 与えることは、本来的に「無償」で行うことを意味します。いろいろなものを与えることができます。自分の「持ち物」を与えることができるのです。子ども はなかなか、自分の「持ち物」を与えようとしません。それは子ども自身が与える「喜び」を経験していないからだと思います。

 「持ち物」の他に、無償で「与える」ことができるものは、たくさんあります。「笑顔」「微笑み」「喜び」「平和」「励ましの言葉」「感 謝」「挨拶」「お 見舞い」などを与えるために、お金は全く要りません。でも、お金よりもずっと貴重なものかもしれません。「笑顔」を与えてくれると、幸せになり、わくわく します。経験を重ねると、「笑顔」を見せ与えることは、幸せだという「境地」になります。それは分かち「合い」ということになり、分かち「愛」ということ になります。

 さらに、自分の「時間」を与えることができます。それは、むしろ自分の時間を一番大切にすることになるのです。「時は金なり」とは、特にその時間を必要としている人に与えることなのでしょう。もしかすると、金ではなくダイアモンドに値するかもしれません。

 しかし、「受ける」ことも捨てたものではありません。実は「与える」ということ自体は、「受ける」こともその中に含まれていることだと、既に経験済みです。「喜び」を与える瞬間に、もしかすると与える側は受ける側よりずっと喜びが大きいと言ってもいいのです。

 歳をとればそれだけ、人に頼ることが多くなります。人に頼られることも幸せですし、人に頼ることも幸せです。


 考えてみると、幸せな世の中は、夢のユートピアではなく、今この場に実現することができるはずです。「与える」毎日を過ごせますように。

 
私たちも、毎日、ほほえみという希望の笑顔を、出会う人々に与えたいものです。

 



娘が高校を卒業後、TXのYWAMに1年間弟子訓練のトレーニングに行っていた事があります。この弟子訓練学校を終了後、TNに戻り、大学に進学する為に半年間だけNashvilleにホ-ムステイしていました。

友人の韓国人のL婦人の通う教会の教会員で、Vanderbilt大学で博士課程を学んでおられた、全盲のご主人のおられる家庭でした。

彼は全盲ですが、教会で礼拝の奏楽をされていました。一度旋律を聴くと、その曲が演奏できるのです。大学での講義も聴くだけで、ほとんど記憶しているという方でした。政府から派遣され、帰国後、大学の教授になったと聞いています。

娘がこの家庭での生活を通して体験したことは、大きな恵みとなりました。毎日、奥さんの手作りの韓国料理を食べ、信仰的な家族の中で学校生活を送っていました。彼からベートーベンの「月光」の演奏の手ほどきなども受けたりしていました。彼らの生きた信仰は、いつも神が共にいてくださるという真実を証しするものだったようです。

 

ヨイド純福音教会のチョー・ヨンギ博士が、大分前のことですが、礼拝メッセージの中でこのような話を紹介していました。
 

ある夫婦がいました。夫は職業軍人で妻は、電話交換の仕事をしていました。婦人が目が段々と悪くなるので病院に行ったら医者が角膜炎なので早く手術しないと失明すると診断をうけました。それで夫が妻を連れて病院に行き手術を受けたのですが、手術が失敗して完全に失明してしまいました。

どんなに絶望的でしょうか?婦人は泣き続けました。でも、神様に祈り勇気を得ました。そして、再起しなければならないと考え会社に戻りました。電話の仕事なので別に目は必要ありません。ところが、出退勤が問題でした。幸いに家の前と会社の前までバスが通っていたので夫が毎日、婦人がなれるまで一緒にしてくれたのです。段々と馴れて一人でバスに乗るようになりました。そうしているうち、六ヶ月が過ぎたある日の朝、バスの運転手の後ろに座るようになりました。所が、運転手が婦人に言いました。

「あなたは本当に幸せな人ですね」

婦人は、微笑みながら、「みたいに目の見えない人のどこが幸せなのですか?」

運転手が答えます。「毎日、あなたを見守る人がいるではないですか?」

「えっ?」

「知らなかったのですか?旦那さんが、毎日婦人と一緒にバスに乗り、婦人の後ろに座っていたのですよ。あなたが降りて会社に入るまで見守ってから、バスに乗って戻っていたのです。」
婦人は驚きました。六ヶ月も毎日その様に見守ってくれたとは全然知らなかったのです。


 
私たちの信じる神様は、目が見えないというだけで私たちを見捨てたりはしません。常に私たちと共におられます。多くの方々は霊的に目が見えない為に、この事実に気がつきません。
 
困難な時代、このゴリアテと戦ったダビデのように、霊的な目が開かれ、神の軍勢が私たちを守り、導かれるようお祈りしましょう。
♥ Admin ♥ Write ♥ Res ♥
カレンダー
05 2017/06 07
S M T W T F S
1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 30
プロフィール
HN:
マスタージッコ
年齢:
61
性別:
男性
誕生日:
1955/10/13
職業:
牧師
趣味:
旅行、クラシック音楽鑑賞、将棋
自己紹介:
ノースカロライナ州ラーレーの日本語教会の牧師をしてます。最愛の妻と娘夫婦がいます。
ブログ内検索
アクセス解析
フリーエリア
Copyright ©  マスタージッコの部屋  All Rights Reserved.
* Photo by Kun   * Material / Template by tsukika    * 忍者ブログ [PR]