さて、歴史的な根拠はないのですが、イースターの頃に花が咲く“Legend of Dogwood”という言い伝えがあります。
十字の形を見ると、キリストの十字架のことを思うのはどこのクリスチャンでも同じなのですね。
はなみずき(Dogwood)言い伝え
キリストが磔刑に処せられた時代、はなみずきはオークなどの森の木と同じような大きな木であった。
はなみずきは大変堅く強かったので、磔刑の十字架用材木として選ばれた。
このような残酷な目的に使われたのではなみずきは大いに悩み苦しんだ。
イエスは釘付けにされながらもこのことに気がつき、はなみずきの悲しみと苦しみを優しく憐み、こう言った。
「私の受難に対するあなたの悲嘆と哀れみにより、はなみずきの木は今後十字架に使われるほどには成長しないだろう・・・・」
それからというもの、木は曲がり、花は二つの長い花びらと短いものが十字架の形となった。
花びらの縁は釘の錆と血痕で茶色と赤に染まった。花の中心はいばらの冠を思わせる。
見る人がいつまでも覚えているように・・・。作者不詳
Legend of Dogwood
In Jesus' time, the dogwood grew
To a stately size and a lovely hue.
'Twas strong & firm it's branches interwoven
For the cross of Christ its timbers were chosen.
Seeing the distress at this use of their wood
Christ made a promise which still holds good:
"Never again shall the dogwood grow
Large enough to be used so
Slender & twisted, it shall be
With blossoms like the cross for all to see.
As blood stains the petals marked in brown
The blossom's center wears a thorny crown.
All who see it will remember me
Crucified on a cross from the dogwood tree.
Cherished and protected this tree shall be
A reminder to all of my agony."
数日前から、庭のさざんかが咲き始めた。2年前に自宅から歩いて7分ぐらいのところに公園が出来たのだが、その公園の予定地の敷地内には当初一件民家があり、公園の為に家ごと代替地に移ったようだった。この地域の家は建設年代が比較的古く、庭の木々はみごとで、もともと沢山の季節の木々が植わっていた。公園はその敷地をうまく利用している。
日本でも地方に行くとさざんかの木の垣根を見かけることがあるが、この家も家の裏庭との敷地の境界にさざんかが植えられており、高さが5メートルぐらいの背丈の大きな木になっている。
我が家のさざんか咲く頃はいつも、このさざんかの垣根は花が満開で見事だ。
NCは緯度も東京都と同じぐらいで四季があり、日本でみられる木々や草花がほとんどなんでもある。海あり、山ありで故郷を思わせる田舎の風景にも似たものがあって、この地が大好きだ。自然の中に神の息吹が感じられ、車で街の中を走るだけでもとても落着く。
日常の生活にストレスを感じる日があっても、この息吹でいやされることが多い。
詩篇の中で、「神の恵みはとこしえまでと」歌われているが、生活の中に神の恵みを感じずにはいられない。なんと幸いなことだろう。
数年前から花々や野鳥など自然の写真を撮り始めたが、小さな野の花の中にも驚くべき創造の業を見る。
創造の業に目を向けられるようになるなら、神に耳を傾けるのは、さほど難しいことではない。神に耳を傾けると、目の前にある気付かなかったことに目覚める。また、そのような中で、ひたすら心を神に向けること、それは神への祈りとなる。
早朝、人々が目覚める前に、起きる事が習慣化したこの頃、夏には朝日と朝焼けを、今は空の満天の星を見上げることができる。感嘆する事の多い毎日に感謝。
「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い。その恵みはとしえまで。」詩篇118篇1節
[新改訳] 伝道者の書 3章1~8節
3:1 天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
3:2 生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。植えるのに時があり、植えた物を引き抜くのに時がある。
3:3 殺すのに時があり、いやすのに時がある。くずすのに時があり、建てるのに時がある。
3:4 泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
3:5 石を投げ捨てるのに時があり、石を集めるのに時がある。抱擁するのに時があり、抱擁をやめるのに時がある。
3:6 捜すのに時があり、失うのに時がある。保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
3:7 引き裂くのに時があり、縫い合わせるのに時がある。黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
3:8 愛するのに時があり、憎むのに時がある。戦うのに時があり、和睦するのに時がある。
ここには人間の人生の行動や活動が14対の表現によって見事に対句をなす表現の詩になっています。
いずれのペアも積極面(肯定的な面)と消極的な面(否定的な面)が対比されています。
私たちの人生はこのように喜びや幸せが継続する事によってだけ成り立つのではなく、それとは全く逆の悲しみや苦難が伴うのが人生で、そのどちらおも神は私たちの人生にゆるしておられる方であることを見ます。
そして、苦難を通して得られる大きな恵みのあることを主は語っておられます。
私たちも夫婦も今年35周年の結婚記念日を12月に迎えますが、困難や否定的に思える時が、主がいつも共におられることが一番感じられた時でした。主の愛と主にある家族からの、友人たちからの愛を感じたのもそんな時です。
平安で安定的な時は、同じ主がおられても主との交わりが親密でなくなる危険があります。
どんな時でも、いつでも主に感謝を捧げ、主を讃美し続ける人生を走り続けたい。
今こそ、信仰の原点に帰る時だと思わされている今日この頃です。
そして、主の御声を仰ぎ、聞き従いたいと。
主よ、時を見極める知恵をお与えください。
黙示録の7つの教会に送られた主のことばに、耳を澄ませて、わたしたちの主の時を知る知恵を得させて下さい。
主に感謝を込めて。
いつものようにRDUの空港でのレンタル。
家から空港までが8マイルしかないのでとても便利なのです。
最近はもっぱらエンタープライズを利用することが多い。
この会社は、空港だけではなく、比較的大きな町にはたいてい店を構えている。
先日、予約に便利なのでPlus Memberになったばかりで、次回のレンタルはFREE UPGRADEとあった。
そんな理由でMidsizeを予約したら、なんとMalibuの新車だった。それも、私が最初のお客だ。
Plus Memberであるからか、係りが車まで案内してくれ、そこでサイン。
その時、係りの店員が「この車何マイル走っていると思いますか」と聞かれた。
聞くところ、見た目から新車だと思ったので「100マイル」と答えた。
何と2マイルだった。
新車は独特の匂いがする。
車の色は白。暑い夏には白がいい。
この車には禁煙マークがついている。最近は禁煙車という予約もあるのかと驚いた。
ホテルでは当たり前の禁煙室の予約。これからは禁煙車と予約できるようだ。
新車で楽しみなのは、どんな装備がついているかだ。
先回はフロイントが全てタッチパネルの操作になっていて、返って使いづらかった。
今回はGM車の通常の装備。
しかし、110Vのコンセントも車内についている。後部座席だから、パソコン用なのだろう。
レンタカーは車の宣伝にもなるので、新しい装備も加わったフル装備のものも多い。
水曜日の夜、戸部ファミリーがNCに来られるので、今日は食料品と教会の備品の買出しに走った。
明日は家内と早朝ドライブ・・・車の少ない道路でひと走り。
車の故障は痛かったが、どんな時にも良い事はあるものだ。
感謝な試乗ドライブのような日だった。
ところで、人は自分で選んで人生の道を歩みます。そうしたいのです。
また、そのつもりで生きています。
しかし、人生を振り返ってみれば、「選んだ」のではなく、そのほとんどは「与えられている」と気付きます。
神様はわたしたちに良いものを与えると約束されました。それは委ねた時に得られるもので、今日の車のようです。自分で選んだよりも、良いものを与えてくださる主の、ほほえんんでおられる顔が見えたようでした。
今日もありがとう。
この日曜日は、久しぶりに母教会の礼拝に合流し、そこでバプテスマと主の晩餐の恵みに預かりました。
天においては一人の罪びとが悔い改めて神に立ち返ることはとても大きな喜びです。
そして、私たちキリスト者にとっても大きな大きな喜びです。
永遠の家族が一人加わったのですから。
この日、バプテスマを受けたのは母教会の青年二人と、日本語教会から一人の姉妹でした。
FBCでは、一人ひとりの受洗者の為に、身近な家族や教会の友人が蝋燭に火を灯す習慣があります。
この蝋燭の灯りは、マタイの福音書5章13~16節でイエス様が言われた、
これから、世の光、地の塩として神様の召しによって遣わされていくことの証しとして、信仰の原点を忘れないように、蝋燭は記念としてバプテスマの証明書と共に渡されます。
聖書にはこうあります。
[口語訳] マタイによる福音書
5:13 あなたがたは、地の塩である。もし塩のききめがなくなったら、何によってその味が取りもどされようか。もはや、なんの役にも立たず、ただ外に捨てられて、人々にふみつけられるだけである。
5:14 あなたがたは、世の光である。山の上にある町は隠れることができない。
5:15 また、あかりをつけて、それを枡の下におく者はいない。むしろ燭台の上において、家の中のすべてのものを照させるのである。
5:16 そのように、あなたがたの光を人々の前に輝かし、そして、人々があなたがたのよいおこないを見て、天にいますあなたがたの父をあがめるようにしなさい。
キリスト者は愛なる神の証人なのです。